教科書 3/4|
>現実の世界は、絶え間なく変化をしており、一律一定の解答が、あることは、まれである。
そうですね。現実の世界は千変万化してとどまる所を知りません。
>同じものを見ても、人それぞれ感じ方が違う。
考えは、人人により様々ですからね。
>世界には、未知なものが多く、科学の法則も仮説に基づいたものにすぎない。
そうですね。仮説を書いて、それを改めていれば、人類は限りなく進歩する。
>子供達に対し、先生が教える解答は、絶対的で、普遍的であるとしたら、それ自体、子供達たちに、間違った現実認識を植え付けることになる。
そうですね。私は子供の頃、’日本は必ず勝つ’ と教えられた。だがわが国は負けた。間違った原因を教えてくれる大人はいなかった。
>ところが、学校では、教科書に書かれていることは絶対である。 >そして、教科書に基づいて全国一律に試験がされる。
そうですね。そうでなければ試験結果に不公平が出てきますからね。
>現代社会の特徴の一つは、価値観の多様化だといわれている。
人人により考えはまちまちですからね。個人主義の浸透ですね。
>しかし、本当に価値観は多様化されているであろうか。 >むしろ、自己の内部の価値観は喪失し、主体性もなく行動しているだけなのではないか。
個人主義を理解していない人は、そういう事になりますね。
>一見、価値観が、多様化して見えるのが、実際は、ただ、外部から与えられた情報や価値観に、主体性もなく依存しているだけなのではないのか。 >麻薬に中毒したように。 >これは、一種のゾンビである。
日本人には意思がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制というものがないので、日本人には意思がない。 意思の無い人間には能動が無く、ただ受動だけがある。主体性もなくただ依存しているだけである。
>現に、価値観の多様化という間違った事実認識の一方で、実際には、画一的な価値観の人間を多く生み出している。
没個性の表れですね。
>それがまた、個性尊重という考えを生み出すのであるが、個性とは、元々、一人一人が、持っているものであり。個性化などと改めて言わざる、をえないのは、人間が画一化されている証左にすぎない。 >結局、上っ面は、多様に見えても下は一つなのである。
そうですね。人の考えはまちまちですからね。しかし、思考停止をしているとまちまちにはなりませんね。
>これを思想教育といわずに、何を思想教育というのだろう。 >これは、ある種の洗脳教育である。
思考を停止している人に単純な徳目のようなものを暗記させると洗脳教育になりますね。
>このような間違った教育によって、子供達は、暗記と教科書をマスターすれば、この世の全ての真理を理解できると錯覚するのである。
そうでしょうね。筋金入りの人間が育成されますね。
>その為に、学校や教師が絶対化し、過度の期待をもたれることになる。 >そして、学歴の優秀な者は、万能の力を得ることになる。
序列信仰の賜物ですね。盲目の判断にならぬことを願っています。
>しかし、考えてみれば、彼等は、受験勉強オタクに過ぎない。 >その結果、学歴偏重をもたらすのである。
そうですね。無哲学・能天気であるにも関わらず、序列メンタリティ (考え方) の人は、ますます現実の世界で力を持ちますからね。
>一般常識や社会認識に欠けているのは、よく知られている。
教科書的以外なことはダメですね。でも、そのために権威が落ちるということは無い。それがわが国の欠陥です。
>没個性、画一的な人間にしてしまう一方において、未知な世界に対する興味や探求心を失い。現実の変化についていけない人間を多く育ててしまう。
‘生きる力’ (vitality) に乏しい人たちが育ちますね。 意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には意思がない。仕方がないから無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力が得られていない。 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく) 自己の意思を示せば当事者・関係者になる。示さなければ傍観者にとどまる。日本人には意思がない。だから、常に傍観者になる。孤高の人には協力者がいない。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない。
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