>359850 国語が育てる日本人-1 >森羅万象 ( 知命 万象 ) 20/09/03 AM09 >■国際派日本人養成講座 リンク > 国語が育てる日本人 リンク > より引用です。 > ~引用開始~ > 幼年期は大量の語彙を素読で蓄積し、少年期は自分で考える力をとことん伸ばす。 >■1.「言葉は通信手段に過ぎない」!? > 昨日の国際派日本人養成講座Liveでは、「国語が育てる日本人」編と題して、国語教育が人作りの根幹であることをお話ししました。 >本年度から、小学校5、6年生に英語を正式教科として教えることが始まっていますが、この「改革」の前提にあるのが、「言葉は通信手段」という考え方でしょう。
言語は伝達の手段でありますが、思考の手段でもありますね。
> たとえば、日本人が中国人に「こんにちは!」と呼びかけようと思ったら、「ハロー!」という英語に訳して声に出します。 >それを聞いた中国人は、「ニーハオ!」と訳して受けとめます。 >二人をつなぐ「ハロー!」という英語は、携帯と携帯をつなぐ通信用電波のようなものだという考えです。
英語は国際的な言語ですね。習得する価値のある言語ですね。
> 英語を覚えれば、こういう国際的コミュニケーションができるようになる、という考えは、それはそれで言語の一面を捉えていますが、言語には人作りのためにもっと深い意味がある、というのが、弊誌の考え方です。
思考の手段としての言語の価値も重要ですね。
>■2.母親はなぜ自分の息子を「おにいちゃん」と呼ぶのか? > 言語は、人間が世界を認識する枠組みを形成します。>たとえば、家族をどう呼ぶか、という点で、日本語は英語とは相当違う言葉を使います。
そうですね。
> 母親が2人兄弟のうち、兄の方を「おにいちゃん」と呼んだりします。 >また、父親、すなわち夫を「パパ」と呼びます。 >母親にとって、なぜ自分の子供を「おにいちゃん」と呼び、夫を「パパ」と呼ぶのでしょうか? >英語を母国語とする人々から見れば、訳が分かりません。 > こうした呼び方を、「親族用語の原点移動」と解する言語理論があります。 >つまり、母親は家族のうち、もっとも幼いメンバー、すなわち次男に原点を移動し、次男の視点から「おにいちゃん」、「パパ」と呼ぶのです。 >なぜ、こんなややこしい呼び方をわざわざするのでしょう。 > それは日本語では、長幼の序を大切にしており、一番、若いメンバーを基点にして、長男は「おにいちゃん」、夫は「パパ」と敬意を込めて呼ぶ、というのが、筆者の解釈です。
日本語は、階称 (言葉遣い) というものがあります。日本語の日常会話には、’上と見るか・下と見るか’ の世俗的な上下判断 (序列判断) が必要です。 日本人の序列関係は世俗の上下関係であるために、個人の倫理感とは乖離しています。ですから、日本人の挨拶は形式主義に陥っています。 ‘上と見るか・下と見るか’ の判断には、牛若丸と弁慶の例にも見られるように、通常勝負の成績が用いられます。近年は偏差値なども都合の良い資料とされています。ですから、日本人は序列の枠にとらわれた生活をしています。
>家族の中でも敬意を込めた呼び方をする、という所に、濃やかな人間関係を大切にする日本語の世界観が表れています。
それは、人間序列のある世界観ですね。敬意を込めないと無作法になる世の中ですね。
> ちなみに、英語では、母親は長男を「ジョン」、次男を「フレッド」、夫を「マーク」などとすべてファーストネームで呼びます。 >そこには親しみはあっても、敬意は籠もっていません。
個人の倫理観に基づかない形式的な敬意は、有って無用のものですね。面従腹背が多くなり誤解のもとにもなりかねませんからね。
>ただし、子供たちは、母は「マミー」、父親は「ダディー」などと、多少の敬意を込めて呼びます。
これらは、敬意とは関係がないでしょうね。
> このように、日本語を母国語として育つか、英語を母国語として育つのか、によって、世界の捉え方がまるっきり変わってきます。
そうですね。事実を解釈する面において、日本語と英語では非常に違っていますね。
(略)
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