>根本にある信頼関係が揺らいでいるのである。
‘言葉遣い’ が衰えて ‘ため口’ が広がる。試験制度に起因する人間序列の本質にも疑いの目が向けられています。
> しかし、人間関係の根本にあり、その信頼関係を支えてきた思想が失われれば、快楽か、損得計算しか残らない。 >それでは、欲望か、金だけの人生になってしまう。
義理 (序列関係から生じる義務) が廃ればこの世は闇だ。人間序列が我々日本人の信頼関係の基礎でしたね。
> 思想がなければ、結局、快楽主義しか残らない。 >それは、現在の教育に端的に現れている。 >今の教育には、モラルがない。
日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。 意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について次のように述べられています。 ‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り) ‘兎角、この世は無責任’ という事か。 自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思表示の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない。
>だから、打算しかない。
処世術に専念する我々はエコノミック・アニマルですかね。
>人としての生きる道がない。
無哲学・能天気ではいられませんね。
>ただ、利害得失だけに支えられた人間関係でしかないのである。
人々は、処世術 (現実) に専念していますね。
>思想のない教育は、魂のない肉体のようなものだ。
そうですね。我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
>骸にすぎない。>醜悪なだけである。> 命の尊さを教えないかぎり、イジメも自殺もなくならない。
命の尊さは自分自ら学び取るものでしょう。教えたり暗記したりして相手に答えるものではないでしょうね。自分個人の加害者意識 (罪の意識) が道徳の基礎になりますね。被害者意識ばかりの生活をやめましょう。世の中を恨むことをやめましょう。恨めしい世の中よ、さようなら。
>試験でいい成績を取ることよりも、友達とうまくつきあえないことよりも、命の方が、よほど大切なのだ。 [小谷野敬一郎]
そうですね。命は宝 (ぬちだたから) です。
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