>ドイツなど欧州のいくつかの国で原発は終止符を打たれました。 >けれど、事故が起きた日本では、地震と津波に脆弱な国土でありながら、今も原発を使い続けています。
粘り強いのが我が国民の特技だそうですからね。日本人には意思がないから意思決定ができない。意思決定の必要な時には、事の次第・自然の成り行きによる決着を待ちます。これは、他のアニマルも同じです。 フランク・ギブニー (Frank Gibney) 氏の著書 <人は城、人は石垣> には、日本人の意思決定に関して次のようなことが書かれています。 ペリー提督は、日本人はアメリカ人のように敏速に行動しないと注意された。それは、このように説明された。数人の日本人が黒船を訪れたいと思って集まったとする。一人が「いい日だな」という。これに二人目が「なんという気持ちのいい日だ」と調子を合わせる。三人目が「波も見えないぞ」という。最後に四人目が「船に行ってみようじゃないか」と提案する。 ニューヨーク・デイリー・ニューズ (1854年6月13日) (引用終り)
>あくまで日本人が決めることですが、世論調査を見れば、多くの人が原発政策に賛成していません。>それなのに、それをデモや抗議活動、野党支持という形で表明しません。>被災地で見た「我慢」の別の一面です。
そうですね。日本人には、自己の意思表示は想定外になっています。だからおとなしい。 ‘日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている’。 (ウスビ・サコ)
>人々は政治や政治家に有害な「我慢」をして、まるで政治という天災の、非力な被災者のように、なすすべもなく耐えています。
意思のある人間により引き起こされる災害は人災である。意思の無い人間によるものは天災である。日本人には人災と天災の区別は難しい。 日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。 意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく) 日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。 意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。 ‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り) ‘兎角、この世は無責任’ という事か。
>しかしそれは政治のあるべき姿ではありません。
そうですね。日本人には意思がない。だから、受動ばかりで能動がない。これでは事が始まりませんね。 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり' 上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)
>日本のような民主主義国家においては、人々こそ、自分たちの政治家に直接の責任を負うのです。
そうですね。主権在民ですね。我が国には衆愚政治はあっても民主政治は無い。 国民は「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。
>ですから、日本人の自然災害下でのレジリエンスはかけがえのない立派なものですが、同時に消極性と、日本の政治に責任を負うことへの怠慢にもつながっていると感じます。
そうですね。日本人には意思がない。受動ばかりで能動がない。消極性があって積極性がない。責任がなくて怠慢 (無責任) がある。
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