>議論に「白黒」をつけようとしない >このような複雑かつ高度な知的作業が求められる状況では、人々はかえって、明快な答えを求めたがり、政治も明快な答えを与えたがります。>そのようなことが起こると、白黒はっきりと、賛成か反対かという単純化された政治的な問いの立てられ方がされます。
入試問題の正解の公表のような具合いにですね。
>本来、複雑で、不可知であるはずの要素がたくさん含まれていることに対しても、ハッキリとどちらかの立場に立たせようとすることが起きます。 >そのような中で政治が行われるということは非常に難しい、そして危うい状況だと言えます。
そうですね。
>須賀:特定の人々に対して非常によく響く、単純化された、耳聞こえのよいメッセージが、社会を分断するような形で表出することは、アメリカ大統領選などを見ても明らかですね。
Populism (大衆主義) ですね。
>苅谷:はい。ですから、日本の政府をどう見るかということについては、現時点では明確な答えがないとしか言えないのではないかと思います。
そういう事になりますね。
>ですが、もし、選挙があれば、私たちはどの政党に投票するかという判断を下すことで、政府を評価するわけで、その場面では、不確定性の高い中でも必ず決断することを求められます。 >これは選挙のときだけでなく、普段の生活の中でも起こりうることです。
意思の決定 (理性による決断) ではなくて恣意の決定 (私意・我儘・身勝手による決断) ですね。気合で決めるようなものですね。
>例えば、GoToトラベルやGoToイートといった政策についても、自分がそれを利用するかどうかといったことは、投票とは関係なくても、利用するかどうかということが政策への賛否を表します。
日常の人気投票のようなですね。
>苅谷:もっと身近なことでいえば、3密を避けるとか、マスクをするかどうかといった日常の行動一つひとつでも、社会が合意している事柄に関して、自分がどのような行動をとるかということを自己決定しなくてはなりません。
そうですね。
>ご質問から逃げているわけではありませんが、非常に複雑な出来事が起きている中で決定を迫られるという状況が、ご質問に対してお答えすることを難しくしています。 >申し訳ありません。
正解のない質問には回答の保留もあり得ますね。
>須賀:いえ。そういった判断を留保すると言いますか、不安定に耐える、不可知を認めるということが、今、最も求められ、かつ非常に難しい態度だと思います。 >社会のデジタル化を政策にどう反映するかということを考える際にも、「自己決定ができる自立した自由な個人」という近代の西洋型の個人モデルを前提にした考え方の限界を感じる場面が多々あります。
自主・独立は難しいですね。個人にストレスがかかります。時により右に行ったり左に行ったりする無党派層が増大しますね。
>これだけデータが多面的に手に入り、それらをリアルタイムで評価することが可能になりますと、「自己決定し、判断した結果を自分で引き受けなさい」というのは、非常に負荷のかかるモデルです。 >このような社会を生き抜く個人を育てていくためには、今後どのようなことが重要になるとお考えでしょうか。
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