>もはや学校は終っている >348475 今の教育制度は、何歳になっても自分のことにしか関心のない人間を大量に生んでいる >竹村誠一 ( 40代♂ 営業 ) 19/08/13 PM10 【印刷用へ】 >「将来○○になるために」と言われて育った人が大半だろう。
そうですね。
>そして自己の未来との関係の中でいまの自分の時間を消費する。
そうですね。立身出世のための励みですね。
>その構造の中では、他者はやせ細っており、自己との関係だけが絶対化されてしまう。
そうですね。’あるべき姿’ という世界観の内容がないと、そういう事になりますね。
>実は、現場の教員たちもその恐ろしい構造に気づいている。
教員たち主導の構造改革が必要ですね。
>以下、富山高教組のおすすめ:「子どもたちの時間と現代社会」内山節著より。 ************************** > 私たちは、子どもたちがより良い大人に育つために教育を行っているが、「子どもが大人になる」とはどういうことなのか。
‘子供が大人になる’ とは、自己の哲学 (非現実の内容) を得ることでしょうね。具体的には英米の高等教育機関において学位 (学士号・修士号・博士号) を得ることでしょうね。
>著者は「自分がかかわっていく関係の世界が広がることだ」(7頁)と述べる。>正にその通りであろう。
そうですね。自己の世界観を発展させることですね。 非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それでそれぞれに独立した三世界になっている。この文法上の規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。 自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供の作文のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。 意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' 対 '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。 わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べになって個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。
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