2021年04月01日(木) 

 

 

>・しかしそれは、村落共同体を超えた社会や国家のことは「自分とは関係ない」と捨象する意識を根付かせることになった。

 

そうですね。日本人には世界観がない。  

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、高度な文法の使用ができない子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' 対 '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。        

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

>◎結局、朝鮮から来た支配階級は3000年前から私権収束しているが、大半の農漁民はほぼ縄文体質のままで、庶民が私権収束を強めていったのは、せいぜい明治以降150年に過ぎない。>◎縄文体質と自我・私権はもともと背反するので、私権の衰弱スピードは日本人が段違いに速い。>私権が衰弱すれば、私権と一体化されてきた独占欲の性も、どこよりも速く衰弱する。

 

そうでしょうね。日本人には意思がない。意思の無いところには方法がない。

 

>◎それが、日本人の活力がダントツで世界最下位である理由である。

 

仕方がないから諦観する。座して死を待つばかりで活力がない。   

 

>と同時に、日本人の私権収束が段違いに弱いということは、脱私権⇒本源収束の可能性をどこよりも豊かに秘めているということでもある。 

 

お金は目的にはならないが有力の手段にはなる。だから、お金は大切です。しかし、お金を手段ではなく目的にしている人は、守銭奴 (けちん坊) として嫌われます。手段を目的化しているからです。これが空しい原因です。 人生の目的を確かめておきましょう。 

 

>【追求ポイント】>■共認原理の縄文体質と、私権原理の個人主義、その違いはどこから? >西欧:長期乾燥→餓え死の危機→遊牧部族が農耕部族に襲いかかり皆殺し:人類最初の戦争 >→共同体が完璧に破壊 >→集団の統合のため、西欧人独特の契約観念を生み出した。 

 

西洋人は何事も契約ですね。   

 

>アジア:敗けた方が強い方に服属するのみ。>共同体が残存。>特に日本は海で隔てられた島国。>原始共同体のまま生きてきた。  

 

我が国のように敵も味方も同一民族ばかりでは、民族浄化 (皆殺し) は考えられませんね。    

 

>◎日本人は人類の起源に近い。>本源性をそのまま体現している 

 

そうですね。日本人は生まれた時のままのような精神状態ですね。   

 

>■そもそも縄文体質とは? >自然との関係は、<西欧> では ‘敵対・征服 ex.)西欧科学’  <日本> では ‘調和・一体化’  である。  

 

日本人の自然に溶け込む有様は、他のアニマルと似ていますね。   

 

 

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閲覧数265 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/04/01 00:57
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