>「日本の学校教育は考えさせないことが役割」 >日本のサラリーマンというのは、考えることよりも考えないことが求められる職業(職種)だと思われます。
そうですね。わが国には人手不足はあっても、頭脳不足は存在しませんね。きっと天下の秀才が揃っているのでしょう。
>そのために、何をどうするかという部分についても「考えさせない」ために、大企業を筆頭に「マニュアル」というものを用意しています。
労働者はマニュアル組とノンマニュアル組に分けられていますね。
>まずは、マニュアルというのは、実は人間を「考えさせない」ためのものだということに気づかなければいけません。>マニュアルは効率化とサービスの均質化を生み出すので企業にとっては好都合な存在です。>しかし、逆に考えると、それを行う「人間」「この通りにやれ」という強制になるわけです。>企業側は誰もが同じ手順で行うように強制し、一切の例外を認めることはありません。>要するに、マニュアルは、「よけいなことを考えるな」というメッセージだということになります。
それは作法・儀式のようなものですね。
>このような中、サラリーマンが考えて良いことは、会社が「考えろ」と強制した部分だけになります。>それ以外の部分は「考えないこと」が期待されているわけです。
そうですね。
>そもそも考えるというのは、自分の意見を持つということです。
それは個人主義の基本ですね。
>考えて自分の意見を押し通すというのは、集団よりも個人を優先するということです。
そうですね。
>日本のサラリーマン全員が、自分の好き勝手にあれこれ考え始めると統制がとれなくなるわけです。
日本人は対話・議論はしないのですかね。
>だから、あれこれ「考えない」で、言われたことだけを完璧に実行するロボットのような人材を大企業を筆頭に欲しがり、学校はそれを意識的にも無意識的にも読み取って、そうなるように子供を矯正していくわけです。
特高 (特別高等警察) による取り締まりが必要ですね。想定外の事柄が山積しますね。’日本は必ず勝つ’ とか、’原発は安全だ’ などと声をそろえて言っていましたからね。
>政府や文科省、企業から学校に課せられた役割とは、「上司の言うことをよく聞いて、口答えせず、言われたことを忠実に行い、不満があっても黙々と働き、集団生活を優先する」人間を作り出すことです。 >そして、日本国民の80%以上が学校を卒業してサラリーマンになるのだから、その意味で学校教育は成功しているわけです。
そうですね。その成功は日本語のお陰ですね。
>「人」というのは何かをいろいろと覚えさせれば自然に「考える」ようになってしまう性質があります。>しかし、日本の教育では「考えさせない」ことが役割になっているため、学校ではどうやって子どもたちを考えさせないようにしているのでしょうか?
誰しも嘘つきにはなりたくないですからね。事実は頭の外にあって現実の中にあります。考えの内容は頭の中にあって見ることができません。見ることができない内容は嘘である。
>それには、まず暗記を押し付けて「考えさせない」ようにし、苦手を押し付けて「考えさせない」ようにし、そして制服を押し付けて「考えさせない」ようにし、また規則を押し付けて「考えさせない」ようにし、さらに団体行動を押し付けて「考えさせない」ようにすることで、成し遂げられているように考えられます。
そうですね。日本人には意思がない。だから、受動ばかりで能動的な言動がない。それは家畜の群れのようなものか。
>日本の教育現場では、実際に学校は考える余裕がなくなるほど暗記させています。>そして、暗記を子どもにひたすらやらせると自然と右脳が使えなくなり、脳全体で考える暇がなくなるわけです。
考えの内容は時制のある文章で表現されますね。 我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
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