2021年07月05日(月) 

 

 

>このプレッシャーは、大学に合格してからも消えませんでした。>東大生は、入学後もテストで成果を出さねばならないのです。 

 

世界にはより良い大学が沢山あるというのに、どうして東大生ばかりが没個性の励みに邁進するのでしょうかね。 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。進歩が期待できる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' ということになり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の比較はこれである。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。      

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。個人の価値判断が抜け落ちている。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。井の中の蛙はこの状態を嘆いているであろうか。      

 

>東大では3年生から法学部や文学部といった学部・学科に配属されますが、その選択権は1、2年生時代の成績順に与えられます。>この「進学振り分け」と呼ばれる制度によって、ガリ勉タイプの東大生は入学直後からテスト勉強に明け暮れ、希望の学部・学科への道を走り続けることになります。

 

自己の哲学の形成はおざなりになっているようですね。このような状態では無哲学・能天気の日本人が増えるのも当然でしょうね。      

 

>公務員を経て「100点病」は重症に >就職後の公務員生活でも、私は相変わらずでした。 >上司に間違いを指摘されないよう、作り込んだ書類を持って報告に行く。 >答案にバツが付くのを恐れていた学生の頃と同じように働いていました。 >お役所は、私のような「100点病」患者でも褒められる環境でした。   

 

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。学生の励みはわが国の学問の発展に寄与していない。それは処世術の励みだからである。      

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。階称の問題を放置している状態では構造体格は難しい。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。これは序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

>人事異動が頻繁にあり、業界知識や前例に精通しない上司の下で働くことも多かったからです。

 

精通しない専門家は困りものですね。   

 

 

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閲覧数431 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/07/05 04:42
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