2021年10月15日(金) 

 

 

>維新・松井一郎代表「日本は沈みゆくだけの運命」 衆院解散に「一刻の猶予もない」と決意表明  > デイリースポーツ 2021/10/14 17:45

> 衆議院が14日、解散した。>今月19日の公示、31日投開票の衆議院選挙に向け、選挙戦がスタートした中で、日本維新の会代表の松井一郎大阪市長が談話を発表した。> 維新は規制改革を旗印に掲げ、自民党との対立軸を明確化しているが、松井代表は「臨時国会では、衆参両院本会議で岸田総理の所信表明演説と各党代表質問が行われたが、新政権がいったい、どこへ、どのように国の舵を取っていくのか、おぼろげのままだった」と、まずは新内閣の問題点を指摘した。

 

そうですね。残念なことですね。新内閣には時代の先取りが必要ですね。    

 

> 「真の改革政党」として、第3極を目指す維新。>現有10議席の維新だが、党単独で法案を提出できる21議席を衆院選での「最低ライン」とし、第一次としてこの日は91人の候補者擁立を併せて発表した。  

 

党単独で法案の提出ができると良いですね。   

 

> 副代表の吉村洋文大阪府知事も既に、「対立軸は明確になった。>自民党と正面からぶつかっていく」と、野党としての立場を示している。 

 

対立するよりも仲間を増やす説得力が必要ですね。何しろこの世は ‘多数は支配’ (democracy) の時代ですからね。       

 

>松井代表も「改革を置き去りにした日本は沈みゆくだけの運命にあるといっても過言ではない。

 

そうですね。日本人には innovation (改変) があっても、revolution (革命) がない。だから、沈みゆく。   

日本人には世界観 (world view) がない。だから、自他共に ‘来るべき世界’ を想定することが難しい。

 

>日本の再生に向けて、真の「改革」をやるのか、やらないかである。>もはや一刻の猶予もない」と危機感を言葉にした。

 

そうですね。だが、日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようですね。   

 

> その上で日本維新の会の代表として「日本の未来を切り開くための国家ビジョン「日本大改革プラン」を前面に掲げ、90人を超える同志たちとともに全力で闘い抜く」と所信表明。

 

未来を切り開くためには、三世界の考えが必要でしょうね。  

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定がわが国では一生涯続く。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。    

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。個人の価値判断が抜け落ちている。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。  

 

>「必ずや前進をはたし、国家の危機に向き合わない与野党から、日本を取り戻す決意である」と、改めて自民党との対立軸を明確化した。 

 

日本人の精神には、現実 (事実) があって、非現実 (考え) がない。

日本人の宗教には、儀式 (作法) があって、教義 (教え) がない。だから、勢い儀式に拘ることになる。

全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。

各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.  我々は ‘考える人’ (the thinking man) でなくてはならない。   

政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する哲学は人生哲学になる。などなど。  

ところが我が国の政治家には政治哲学がなく、宗教家には宗教哲学がない。科学者には科学哲学がなく、著述家には人生哲学がない。などなど。   

TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。

孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)。(引用終り)   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 

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閲覧数230 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/10/15 01:15
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