>現代ビジネス >“10兆円”大学ファンドは日本の「大学変革」につながるか? 困難さも伴う、その行く末 >伊藤 博敏 - 10 時間前 (略) >“10兆円”大学ファンド >財政投融資を主な原資に10兆円の基金(ファンド)を設け、その運用益を政府の認定した大学に集中して配分、世界最高水準の研究成果が期待できる大学を育成しようとする国際卓越研究大学法案が、5月18日、参議院本会議で可決され、成立した。
‘上と見るか・下と見るか’ の話に熱中しますね。
>日本の科学研究力の低下はかねて指摘されているところで、引用される頻度が高く「質が高い」とされる論文の数(トップ1%論文)は、90年代の世界4位から昨年は9位まで順番を下げた。 >英教育情報誌「タイムズ・ハイアー・エデュケーション」が発表する世界大学ランキングトップ100に入る大学は、東京大学(35位)と京都大学(61位)の2校のみ。
これは序列メンタリティの持ち主には解決不可能な問題でしょうね。
>博士課程修了者のうち約3割が非正規雇用という将来性のなさが嫌われて、博士号取得者の数は減る一方だ。
我が国には人手不足はあっても、頭脳不足の話は聞いたことが無いですね。わが国では博士は役に立っていませんね。
(略) >様々な声も…システムはうまく機能するか >大学ファンドは、1校数百億円の運営費の「渡し切り」であり、どこにどう使うかは大学に委ねられるとはいえ、税金を投入されている以上、10兆円の運用にあたって監視を受け、4.8%以上という目標が達成されなければ批判は必至。
論文は金にはなりませんからね。批判は必至でしょうね。
(略) >とんがった個性、ずば抜けた才能、まったく新しい分野を切り開くパワーに、選択と集中で資金を注ぎ込み、日本の知的研究分野を飛躍させるというコンセプトは、国益の観点から、また産業的見地から必要であるのは周知だが、反発も少なくない。
日本人は没個性の丸い形をした人間を好みますね。
>国立大学協会会長の永田恭介氏は、『週刊東洋経済』(22年5月14日)のインタビューで、「大学ファンドには賛成」というものの、「ファンドの支援対象以外の大学群も支援して、そこの研究環境も改善しなければ」という。 >力点は全体の底上げに置かれていた。 >また、制度に反対する教職員・学生らはもっと直截で、法案審議に合わせ、「大学の自治が壊される」「格差が広がる」「利権の温床になる」と批判、大学やオンラインなどで署名活動を始めたグループもいる。
政治には未来の先取りが必要ですね。未来 (非現実) を忘れて現実に走ると大学の自治が壊れますね。大学の運営が処世術になりますね。 大衆はグループと格差の心配をしていますね。大切なのは個人の個性ですね。それを見つけて投資することが必要ですね。個性に関する目利きが大学には必要ですね。 金づるには利権にがつきものですね。処世術の大家が学内に活躍していると学問の発展には役立ちませんね。
>04年に国立大学が法人化されて以降、各大学の収入不足を補うために国が出している補助金の運営費交付金は、毎年、約1%の割合で削られるなど、国立大学は収入不足に喘いできた。 >そうした環境のなかでの「特別枠への1校数百億円の予算措置」である。 >『朝日新聞』が社説に「研究とはトップ校の奮闘でどうにかなるものではなく、それを支える広い裾野が必要だ」(5月10日付)と書くように、主要マスコミの論調も国際卓越研究大学の行く末に懐疑的だ。
国際卓越研究大学か。’国際’ だの ‘卓越’ だの ‘研究’ などとわざとらしい名前をいちいち上げて並べるのも指導者が事柄の本質を深く理解していないからでしようね。
>平等主義が根強い日本で、大学に変革を求めるシステムはうまく機能するのか。
そうですね。日本人の争いは同次元序列の争いですからね。日本人は没個性を恥じていませんね。
>その困難さを最も熟知しているのは「バラ撒き」を恐れる上山氏かも知れない。
個性を育てる目標から外れた努力をすると、金は必ずバラマキになりますね。わが国には個人主義が浸透していないから、英米流の高等教育は成果が上げられませんね。日本人は、しばらくはアングロ・サクソンの下で生活態度を身に付ける必要があるのではないでしょうか。
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