2022年07月02日(土) 

 

 

>現代ビジネス  >対中国の「アジア版NATO」に、日本が参加できない「致命的な理由」 「都合のいい国」と思われている  >長谷川 幸洋 - 7 時間前   

 (略)

>NATO首脳会議への招待   >北大西洋条約機構(NATO)が6月28日、スペインのマドリードで首脳会議を開き、ロシアや中国をはじめとする権威主義勢力との対決姿勢を鮮明にした。   

 

権威主義の国々に対する西欧の対決姿勢ですね。   

 

>一部には「アジア版NATO」創設という議論もある。  >はたして「日本がNATOに加わる日」は来るのか。

 

どうですかね。わが国は意思決定に障害のある国ですからね。五里霧中ですね。   

 

>まず、今回の首脳会議の意義を整理しよう。 >ポイントは3つだ。 >NATOがロシアと中国を、どう位置付けているか。 >日本など、アジア太平洋のパートナー国との連携はどうなったか。  >それから、フィンランドとスウェーデンのNATO加盟である。 >首脳会議は、12年ぶりに新たな「戦略概念」という文書を採択した。 >NATOがいま直面している課題と、それに対する政治的、軍事的対応方針を簡潔にまとめた基本文書だ。 >全部で16ページだが、本文は11ページにとどめている。 (略)  >戦略概念の文書は、ロシアについて、同盟と欧州・大西洋地域の平和と安全にとって「もっとも重大で直接的な脅威」と認定した。 >一方、中国については「中国の野心と強制的な政策は、我々の利益と安全、価値観に対する挑戦」としたうえで「政治的、経済的、軍事的手段を駆使して、世界的な影響力を強め、力を行使している」と記した。

 

そういうことですね。  

 

>ウクライナを侵略したロシアが、欧州にとって目下、最大の脅威であるのは言うまでもない。 >戦略概念は「我々が直面している脅威はグローバルであり、相互に関連している」と記した。  >だからこそ、地理的に遠くても、中国は欧州にも脅威になりつつある。  >そうした認識に基づいて、首脳会議は今回、初めて日本と韓国、オーストラリア、ニュージーランドの首脳を会議に招待した。  >今後、定期的に呼ばれる可能性もある。 >韓国はNATOに常駐の連絡官を置く方針だ。  >日本も検討すべきだろう。   

 

そうですね。  

 

>戦略概念は、こう記している。 >〈インド太平洋はNATOにとって重要だ。 >その地域における出来事が、欧州・大西洋の安全保障に直接、影響を及ぼすからだ。 >我々は地域をまたぐ挑戦に対処し、安全保障の利益を共有するために、インド太平洋における新しいパートナーとの対話と協力を強める〉  >あまり報じられなかったが、NATO首脳会議とほぼ同じタイミングで、実は、米国と日本、英国、オーストラリア、ニュージーランドの5カ国がワシントンで、新たな会議「ブルーパシフィックにおけるパートナー(PBP)」の初会合を開いた。 >中国の太平洋島嶼国への進出を念頭に、中国をけん制し、自由・民主主義陣営の影響力を強める狙いで、新設された会議だ。 >5カ国は6月25日、共同声明を出して「気候危機や海洋の安全保障と保護、保険、繁栄、教育など、あらゆる分野での協力を深める」と宣言した。   

(略) >顔ぶれを見れば、すぐ分かるように、5カ国のうち、米英オーストラリアは軍事的枠組み「AUKUS(オーカス)」のグループである。

 

アングロサクソンのメンタリティによる結束ですね。     

 

>そこに、日本とニュージーランドが加わった形だ。  >ということは「将来、日本とニュージーランドも参加するAUKUS拡大を視野に入れている」と見えなくもない。

 

そうですね。しかし、日本は難しい国ですね。日本は民主主義国ではあってもアングロサクソンのメンタリティのない国ですからね。   

フランク・ギブニー氏の著書 <人は城、人は石垣> には、以下のような指摘があります。

日本語は英語のように、キチンとしたアリストテレス的文法に閉じこめられていない。言語として、日本語は「いま、ここ」に根ざしている。判断より気分に興味をもつ。意味より感受性に関心がある。英語を使うのは絶えず理論的な価値判断を行なう言語を使っていることであり、英語が価値判断を行わせる。一方、日本語は論理的、法的ないし哲学的判断を敬遠する。たとえば、日本語には “to be” に当る適当な動詞がない。”being” とか “reality” のような概念は明治時代、漢字から人工的につくらねばならなかった。「概念」 (concept) でさえ人工的につくらねばならなかった。   

 

>「アジア版NATO」の可能性  >PBPの発足と、NATO首脳会議が日韓など4カ国を招待したことを考え合わせれば、NATOがアジア太平洋に手を伸ばして「やがて『アジア版NATO』を創設しようとしているのではないか、日本はそれを望んでいるのではないか」という観測を生むのは自然な流れ、と言える。   

 

そうですね。   

 

>日本政府は、そんな野心を露ほども見せていないが、中国や北朝鮮はそう見ている。  

 

そうでしょうね。中国や北朝鮮は権威主義の国であり、常に戦略的ですからね。    

 

>たとえば、中国の共産党系新聞、環球時報の英語版「グローバルタイムズ」電子版は6月26日付で、こう書いた。 >〈日本は戦略的孤立を深め、米国による(日本防衛の)約束が果たされるのかどうか、心配するあまり、中国を封じ込める日本を支援してもらうために、米国とNATOをアジア太平洋地域に引き出すのに懸命になっている〉   

 

それは及ばぬ努力でしょうね。   

 

>〈岸田首相はウクライナ危機と中国脅威論を吹聴して「拡大版NATOが不可欠」というスタンスを固めているように見えるが、アナリストたちは「アジア版NATO」あるいは「グローバルNATO」を支持するのは時代に逆行し、「新たな冷戦」もしかしたら「熱戦」につながるだけだ、と警告している〉>PBPについても、こう書いている。 >〈アナリストたちは、PBPをAUKUSの非公式拡大版とみている。 >中国が太平洋島嶼国とさまざまな協力協定に合意した後、ニュージーランドは反中国のニンジンに飛びついた。 >一方、日本は向こう見ずで危険な一連の内政、外交政策に踏み出した。 >それは、アジア太平洋地域の平和と安定を深刻に脅かす〉 >北朝鮮も6月26日、外務省のWEBサイトで「米国は日本や韓国と合同軍事演習を実施して、アジア版NATOを築こうと、本格的に動いている」と非難した。 >中国や北朝鮮の「心配」は妥当なのか。  

 

中国も北朝鮮も日本の実力を過大評価していますね。日本は内部抵抗の大きな国です。世界に打って出る前に自分自身が疲弊してしまいますね。       

 

>日本を縛る「足かせ」  >私の結論を先に言えば、心配するには及ばない。  >仮に、アジア版NATOのような話が具体的に動き出したとしても、日本は憲法を改正しない限り、参加する、あるいは参加できる可能性はほとんどない。

 

そうですね。政治音痴の日本人が自己の憲法を改正することは容易ではないですね。 アメリカの若者は日本人のための金科玉条をたった一週間で書き上げたといわれていますけどね。      

 

>日本は集団的自衛権のフル行使を認めていないからだ。  

 

それは自分の手で自分の首を絞めて苦しがるようなものでしょうね。    

 

>これは簡単な話である。 >アジア版NATOが本家のNATO同様、集団的自衛権を前提とする限り、どこかの加盟国が攻撃されれば、日本を含めた全加盟国は一丸となって反撃しなければならない。

 

助けられたり、助けたりですね。子供にも理解できる事柄ですね。      

 

>だが、日本は武力行使に次のような3条件を課している。  >すなわち「我が国に対する武力攻撃、または密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、国民の生命や幸福追求などの権利が根底から覆される明白な危険がある場合」で「他に適当な手段がなく」かつ「必要最小限度の実力行使にとどまる」という条件だ。 (略)  >こんな条件を課している限り、日本は他の加盟国と一緒になって、全力で反撃するのは不可能だ。   

 

そうですね。我が国は、国際社会の孤児ですね。  

 

>言ってみれば、いまの日本は「自分が攻撃されたら、仲間に全力で守ってもらいたいが、仲間が攻撃されたときは、日本が反撃できるかどうか、分かりませんよ」というスタンスなのである。  >普通の国が、そんな日本を仲間に加えようと思うわけがない。   

 

そうですね。 協定は片務ではなく双務的である必要がありますね。     

 

>この議論は、国連安全保障理事会の常任理事国入り問題でも同じである。   

 

そうですね。日本の要求は日本人の本性をよく表していますね。 感心するところが何処にも見当たりませんね。

 

>日本政府は常任理事国入りを目指して、長年、運動を繰り広げている。 >だが、米国を含めて、国際社会の中には「日本は平和維持活動にフル参加できないのに、他国に負担を強いる決定をする安保理の椅子を占めようというのか」という批判がある。   

 

それはもっともな疑念ですね。日本人はつまらない疑念を晴らす決意はしていないのですかね。   

 

>一言で言えば「自分は安全なところにいて、他国に犠牲を強いるのか」という批判だ。   

 

日本人は清廉潔白を好みますから、そのような卑劣な真似ができるとは考えられませんね。   

 

>これでは「卑怯な態度」と言われても仕方がない。  

 

そうですね。それはタラレバの話になるのでしようね。   

 

>外務省は「平和国家ニッポンの姿勢は、世界で高く評価されている」などと宣伝するが、一皮むけば、世界には「都合のいい国」と見られているのだ。  

 

役人には政治責任がありませんからね。相手にしてもしかたのない人たちでしょうね。政治指導者の監督次第ですね。           

 

>政府は、そういう本質的問題を国民に説明しようともしていない。 >この点は、ベテランのジャーナリスト、古森義久氏が最近のコラムで指摘している。

 

そうですね。政府は分かりやすく声を大にして懇切丁寧に国民に説明すべきですね。      

 

>もしも、日本がアジア版NATOに参加したいのであれば、まずは憲法を改正して、集団的自衛権を全面的に認める必要がある。   

 

そうですね。憲法の改正は必要なことですね。憲法改正の話は前々からあるのではないですか。       

 

>それまでは、安全保障条約を結んでいる米国を頼りにして、それでも心配なら、自力で防衛力を飛躍的に向上させるしか道はない。   

 

そうですね。日本人には、他国を頼る前に自前で戦う心構えが必要ですね。   

 

>憲法を改正しないまま、アジア版NATOの話が具体化したら、どうなるか。  

 

矛盾を含んだ組織は作動しませんね。意見としても認められませんね。       

 

>日本は「置いてきぼり」になるだろう。   

 

日本人の意思決定の遅れが、わが国の時代遅れをさらに加速しますね。   

 

>つまり、韓国やオーストラリア、ニュージーランドは参加するが「日本は、自分の憲法を改正してからだね」という話になるのだ。 >これまた当然である。   

 

そうですね。それはリーズナブルな措置ですね。しかし、国際社会の皆さんにはご迷惑が掛かりますね。いつものろまな日本は他国のお荷物になるばかりですね。   

日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようです。この筋道で成功すると、後追いの専門家になりますね。後追いの人は指導者としては適当でないですね。    

 

(略) >フィンランドとスウェーデンは、反対していたトルコが賛成に回って、NATO参加に道を開いた。  >両国は当然、自分を守ってもらうだけなく、同盟国が攻撃されれば、全面的に反撃に加わる方針だ。  >日本も世界の常識にしたがって「国のかたち」を修正しなければならない局面を迎えている。   

 

そうですね。わが国民にも頭の近代化が必要ですね。’わが国の常識は世界の非常識’ と言うだけでは済まされませんね。このような駄洒落は我々の命取りになります。  

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。      

 

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閲覧数351 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/07/02 11:19
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