>東京新聞 ><書評>『ルポ 大学崩壊』田中圭太郎 著 >昨日 7:00 >◆学生目線不在の現場 [評]小林哲夫(教育ジャーナリスト) > 小中学校、高校の教員が不祥事を起こせば、他の業種よりメディアで大きく取り上げられる。 >処分も厳しい。 >悪事や不正を働いた人は教壇に立ってはいけない、人にものを教える立場として誰よりも清廉潔白さが求められるからだ
そうですね。
> しかし、本書を読むと、こんなあたりまえの話が、大学では通用しないことがわかる。 >とくに情けないのが大学経営者だ。 >国立大学における学長選考の不明朗、下関市立大の政略的な情実人事、山梨学院大の教員賃金の大幅カットなどだ。 >これらは私利私欲が透けて見える。
大学は ‘あるべき姿’ (哲学) を追及すべきですね。大学で処世術 (損得勘定) の延長をしていては、大学の存在意義がありませんね。大学の外に居ても同じこと。
>大学は政治の世界でも商売の場でもない。
そうですね。大学は学問の世界ですね。あるべき姿の追及が使命ですね。
> 大学教員のモラル低下もいっこうにやまない。
日本人には意思がない。だから、加害者意識がなくて、被害者意識ばかりがある。何もかも他人事であって、強力な反省なども起こらない。優柔不断・意志薄弱の人間だけが存在する。
>本書によれば、これだけ社会で問われているセクハラやパワハラがいまだ横行し、学生の将来をつぶしている。 >なぜ、こうした問題が放置されるのか。
それはこうした問題が他人事だからでしょう。
>経営者、教員をチェックするシステムがないからだ。
大学人がそれをチェックしなくてはなりませんね。大学人の責任である。自然放置はだめである。 自己の意思を表明すれば、当事者・関係者となる。表明しなければ傍観者にとどまる。日本人には意思がない。だから、常に傍観者になる。大学人は大学にあって、しかも大学に属していない。兎角、この世は無責任である。
>トップに意見できない。
そうですね。上意下達ですからね。序列社会の欠陥症状ですね。礼儀 (序列作法) 正しい日本人の品位を下げる盲点ともいうべきところですね。
>同僚をかばうという事なかれ体質を変えない限り、大学は良くならない。
そうですね。日本人の馴れ合いが全ての禍の基ですね。 ‘なあなあ主義’は、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませることである。これでは議論できない。大切な頭を研く機会が失われています。
>いま一度、学生目線で大学教育を見直してほしい。
そうですね。大学人の自覚の問題ですね。 我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり' 上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)
>(ちくま新書・990円) (略)
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