>河北新報オンライン >憲法施行76年 樋口陽一さんに聞く「個人の生き方に憲法は定着」 >2023年5月3日 6:00 > 日本国憲法は3日、1947年の施行から76年を迎えた。 >憲法記念日を前に仙台市出身の憲法学者、樋口陽一さん(88)が河北新報社のインタビューに応じた。 >「権力は制限されなければならないことが、憲法そもそもの肝」と強調。
そうですね。
>自民党が主導する国会の改憲論議を憂慮し、立憲主義の崩壊への危機感を示した。 >世界の憲法史から日本の現状まで、護憲派の巨頭は穏やかな口調で自在に持論を展開した。 >(報道部・瀬川元章) >[ひぐち・よういち]1934年仙台市生まれ。 >仙台一高、東北大法学部卒。 >東北大、東京大の名誉教授。 >日本学士院会員。 >近著に「抑止力としての憲法―再び立憲主義について」「リベラル・デモクラシーの現在」。 >内外での交流をつづった回顧録は初校の段階。 >便宜主義的で思い付きの自民改憲案 -国会の改憲論議が年々加速しています。 >思い付き改憲案 > 「政権政党の自民党が、時々で熱心度は違うのですが、一貫して憲法改正を主張してきた。 >2012年の4月27日には、前文を全て書き換え、自衛隊を国防軍と位置付ける全面改憲案を発表しました。 >日付にもサンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日から60年という意味を持たせたわけです」 > -9条への自衛隊明記、緊急事態条項の新設など4項目を挙げています。 > 「非常に便宜主義的な、何か思い付きの改憲案。 >『お試し改憲』という不謹慎な言葉を使う改憲論者もいる。 >みんなが納得しそうな何かを出して、憲法改正の国民投票をやり、改憲の癖を付けると。
無哲学・能天気の極みですね。日本人のノンポリ・政治音痴を承知の上で政治屋が利用しようとしていますね。亡国への誘いですかね。
>今の憲法は良くないという印象を国民の間に振りまく意図は非常にはっきりしておりますね」 > 「私は何といっても、日本国憲法の肝心の部分は、個人の尊重を定めた13条。 >自民党の改憲案は13条の『個人』を変えて『人』という字を当てた。 >いわば、意思や魂を持った個人が、人的資源でしかないものにおとしめられかねない」
そうですね。人人により考えの内容が違いますから、個人主義が大切ですね。なぜ個人が人になったのでしょうかね。我が国民の無哲学・能天気の表れですかね。
>「生活保守」根付く -自民党は最近、緊急時の国会議員任期延長を訴えるようになりました。 >生活保守根付く > 「Q&Aのパンフレットを全国津々浦々に無償で配り、国民運動めいたものをやっていた頃に比べると、真面目さがなくなっていますよね。 >あの熱気はどこに行ったんだろうかと。 >私は改憲派じゃありませんから、残念がるわけじゃないけど、しかし議論の種にはなったわけですね」 > 「『この調子でやっていれば、何でもできるんだ』と思っている気さえしますけど、それは事実に反しています。 >憲法という旗が残っていれば、世の中が一方に流れ込んでいくのに対する抵抗の手掛かり、足掛かりに必ずなりますからね。 >憲法が小さな市民活動や一人一人の個人の生き方にまで関わってきて定着していると、私は自信を持っていますけどね」
日本人は思考を停止している。だから、学校教育では ‘受け売り・後追い’ の練習ばかりをさせている。知識を尊び、個人の知恵をないがしろにしていますね。ですから指示待ち人間しか育ちません。彼らには社畜になる運命が待ち受けています。これが今まで日本人がやってきたことです。
> -その理由は何でしょうか。 > 「改憲論者は若い世代の現状肯定感を甘く見過ぎているんじゃないかと私はみています。
日本人には現実 (事実) があって非現実 (考え) が無い。日本語の文法には時制 (tense) というものが無いので、世界観 (world view) の内容を脳裏に描くことが難しい。つまり、過去・現在・未来の独立した三世界とか、前世・現世・来世の独立した三世界の内容の吟味に欠けている。だから、目先・手先の事柄ばかりに囚われた人間になっている。
>政治的には無関心と言われているにしても、生活感覚が身に染みていて、『生活保守』が根付いていると違いますか」
政治には未来の先取りが必要ですね。日本人はノンポリ・政治音痴です。これは世界観を持たないからでしょうね。現在の内容に固執していますね。
> 「憲法改正の手続きを取って国民投票で否決されたらどうするつもりなのか。 >まさか無視はできないでしょう。 >そのリスクを避けなくちゃいけないと思わせるほど、憲法は日常化しているんじゃないですか」 > -安全保障関連法の成立、安保関連3文書の閣議決定で、憲法の空文化が進んでいるように見えます。
日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え) がない。だから、軽率は免れ得ないですね。
>やせ細る知的層 > 「もちろん政治の常道に反すること。 >むしろ、今みたいにアジアに危機が集中的に表に出てきた時期には国民が(改憲の動きを)警戒する度合いが強くなってくるのと違いますか」 > 「戦前は社会に影響力を及ぼす層がいて、物の考え方も行動もリベラルだったわけですよね。 >そういう知的階層が戦後の大衆化の中でやせ細り、それに代わる知的層がなくなった。 >高度経済成長時代に物欲だけが定着しちゃったのかな」
昔から日本人は哲学に関係がない。処世術 (損得勘定) オンリーですね。哲学は非現実、処世術は現実の内容です。日本人の非現実 (考え) は想定外になっている。だから、一寸先は闇に見える。
>G7で日本の孤立心配 > -憲法は欧米でどう形成されたのでしょうか。 > 「英国ではプラス、マイナスの歴史を積み重ね、まず『国会主権』という原則ができた。 >矛盾するのですが、主権者の国会ですら、手を触れてはいけないルールもある。 >それが第2原則、中世以来の『法の支配』です」 > 「その系譜を引き、最初に成文憲法を作ったのが米国。 >英国から独立して建国するため、法文という形で明確にする必要がありました」 > 「1789年のフランス革命では、簡潔な17カ条の人権宣言が出ます。 >実は現行法で、一字一句変わっていない。 >『権利が保障されず、権力が分立されていない社会は憲法を有しない』という16条が有名です」
宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。 宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)
> -歴史の重みを感じます。 > 「憲法を巡る暗黙の理解は、先進国の間では共通になりました。 >自民党の改憲案はそういう背景を念頭に置いたとは言えないが、明治憲法は決して全くの例外ではない」 > 「人権宣言16条のようなスタンダードな憲法観を持っていた伊藤博文(初代首相)と、権利を持っているのは当たり前だから、臣民の『分際』、つまり義務の方だけ書けばいいと異議を唱えた森有礼(ありのり)(初代文部大臣)。
‘権利を持っているのは当たり前’ というのはよくわかりませんね。意思の無い日本人は子供のようなもので、外に向かっての自己主張などできませんからね。つまり、保護の必要な大人ですね。
>この有名な論争のように、明治維新や大日本帝国憲法の制定が、真面目なそれなりの日本の近代化だったという認識は今でも大事だと思います」 > -先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)が今月19~21日に開かれます。 > 「G7で日本の孤立がまず心配だ。 >死刑廃止、夫婦別姓、出入国管理や移民制度の問題にしても、『あの国はちょっとわれわれと違うな』という見方をG6から向けられ始めている。
序列メンタリティには同次元の比較が必要ですね。夫婦別姓は同次元になりませんね。ですからわが国の序列メンタリティは万病のもとですね。原因は日本語の階称 (hierarchy) にありますね。
>(立憲主義の成熟とは)明らかに逆コースですよね」 >原発事故、地元が割を食う > -東京電力福島第1原発事故から12年たちますが、万単位の人々が故郷に戻れないでいます。 > 「『原発イコール公共の福祉』と考えられていたのが、『原発バーサス公共の福祉』になったわけだ。
関係者の浅知恵によるものですね。
>少なくともナショナルな規模で対応しなくちゃいけない問題だが、現在のところは結局、地元問題としてしか処理していないじゃないですか。 >京浜地域に電力を送り、日本の経済力を支え、全国民がかっこ付きの恩恵を被ってきたわけだが、国民国家としての一体性がないまま、原発が立地する住民が割を食っている」
住民は運が悪かったということで諦めるのか。 日本人には意思が無い。意思の無い人には責任が無い。加害者意識もない。罪の意識もない。深刻な反省が行われない。過ちは再び繰り返されます。 ‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
> -東日本大震災の被災地でも、自治体の条例で災害危険区域に指定され、住めなくなった所が少なくありません。 >憲法22条の「居住の自由」との兼ね合いをどう考えますか。 > 「公的な措置によって被害を受けた場合の損失補償と、違法の原因があって損害を引き起こした者が賠償する損害賠償に、理屈の上では仕分けされるが、巨大津波はどちらのラインでも想定されていないですよね。
我が国のような地震国で巨大津波が想定されていないというのはどういう事でしょうかね。 未必の故意ですかね。 未必の故意は 法律用語 であり、「 行為 者が自らの 行為 から罪となる 結果 が 発生 することを望んいる わけではない が、もし そのような 結果 が 発生 した 場合 それならそれで 構わない とする 心理 状態」を意味する 概念 である。 「 未必 的 故意 」ともいう。 あえて大 雑把 に「未必の故意」を 分かりやすく 言うと すれば、「もしかしたらこれで 誰かが死ぬ かもしれないけど、まあ 別に いいや」という 心境 が、未必の故意である。 犯罪 行為 の 刑事責任 問う 場合 、 当事者 の 罪を犯す 意志 の 有無 や 様態 によって 量刑 が違ってくる。
>損失や損害の発生はかなりの確度で議論されているが、その後どうするかという議論は全くゼロでしょ。 >闇ですよね」 > -東北の被災地は問題提起を続ける必要があるということでしょうか。 > 「そういうことになってしまうね。 >国家という機構を含めて、社会っていうものは約束事ともつかない、いかにいいかげんな虚構の上に成り立っていたかということですね。
意思の無い人間には責任が無い。日本人の責任者はどうして自分が責任逃れをするかを考えて戦々恐々としている。当事者に意思の有る無しの判定が難しい。関係者は意思の有無に焦点を当てることなく、事の次第で説明します。
>現に1931年の『満州事変』以来、1945年8月15日までの間、あれだけの人的、物的な大被害を起こして、誰からも落とし前をつけてもらっていない」
‘兎角この世は無責任’ ですね。江戸時代のようなものか。
> -国民は憲法への理解をどう深めていけばいいのでしょうか。 > 「憲法、constitutionという言葉は辞書的には構造、骨組みという意味です。 >人間の体がそれぞれの構造を持っているのと同じように、敗戦の中から日本という国の構造を『これにしましょう』と選び取った。 >それが日本国憲法です。
そうですね。
>その土台の上に、一人一人の物の考え方、生き方をお互いに尊重しながら、より良い社会を目指し、不公正をなくしていこう、ということです」 > 「薩長の主導でつくられた日本近代には、奥羽越列藩同盟に関わった北日本を『白河以北一山百文』とさげすんだ歴史があります。 >菅原文太さんと半藤一利さんが史料を踏まえて縦横に語った『仁義なき幕末維新-われら賊軍の子孫』(文春文庫)の矜持(きょうじ)は、もう一つの日本近代があり得たかもしれない可能性を考えさせ、中世の華・平泉文化の伝統とも重なって、これからの日本を考える示唆ともなるのではないでしょうか」
.
|