2023年05月15日(月) 

 

>日本人の内と外、表と裏―華字メディア   >Record China によるストーリー • 10 時間前   

>2023年5月10日、日本の華字メディア・中文導報は、日本人の「内」と「外」に関する性質を取り上げ、在日外国人が日本社会に入り込めない苦悩を嘆く文章を掲載した。    

>文章は「日本人は日本国内では礼儀正しいが、海外に行くとその辺に痰唾を吐いたり吸い殻を捨てたり、傲慢(ごうまん)かつ横柄な態度を取ったりし、赤信号を平気で渡る者もたまに見かける。   

 

そうですね。’旅の恥は搔き捨て’ ですね。    

 

>これは、日本人が内と外で異なる基準を設けて行動するという性質の現れだ」とした。   

 

そうですね。日本人の礼儀作法は序列作法ですから、序列なきところでは無礼講になりますね。      

 

>その上で、日本人は対人関係について「内」と「外」を使い分け、「外」の人については「自分に関係のない他人」として冷たく扱うと論じるとともに、在日外国人は往々にして、日本人から「外」の人間、すなわち「外人」として扱われている感覚になると主張した。

 

そうですね。自己の序列内の人は ’うちの人’、そうでない人は ’よその人’ ですね。日本人は相対敬語を使いますからね。これが絶対敬語を使う韓国人とは違うところです。      

 

>そして、日本語にはさまざまな敬語が存在し、日本人は面識のない人と初めてコミュニケーションを取る際にはまずよそ行きのあいさつ言葉を使って速やかに自分と相手の位取りを行った上で、相応の敬語を用いてやり取りすると分析。   

 

そうですね。序列社会においては位取りが大切ですね。’人を見損なってはいけない’ と注意深くなっています。そうでなければ天罰が下ります。      

 

>敬語は一見他人に対するリスペクトのように思えるが、実際のところは相手を階級別に扱っているのだとし、日常でよく見られる日本人どうしの敬語の応酬はまさに「他人対他人」の典型で、よそよそしさによって表向きには親しい関係を維持しているのだと論じた。   

 

日本人には個人的な尊敬の余地はありませんね。序列は社会的に決まっているし、作法も最初から決まっている。ただその作法を機械的に繰り返すだけです。個人判断が入らないところが特徴です。        

 

>さらに、日本人は一度「内」と「外」の区分けを決めるとよほどのことがない限りこれを覆さないと主張。   >このため、一度「外の人」認定をされた人物はどんなに頑張っても「内の人」になることは難しいとしたほか、日本人の団結意識や外部との対抗意識、さらには排他的意識もこの「内」と「外」の考え方がベースになっているのだと伝えた。

 

そうですね。協力しない者は、非国民・外人・村八分になります。これは序列人間である日本人にとって恐ろしいことです。      

 

>文章は最後に「それゆえ、われわれは悲しいことにどんなに日本や日本文化を好きになっても、日本人からは本当の意味に受け入れてもらえないことに気づくのである。   

 

そうですね。利害関係が違いますからね。外人には序列昇進の夢がない。本当の意味で受け入れるのは難しいですね。      

 

>日本人と結婚し、子どもを設けたとしてもやっぱり『外人』であり、その行動や言葉が日本人以上に日本人らしかったとしても、日本人の心の中ではやっぱり『外人』なのである」と結んでいる。   

 

そうですね。それが序列社会に存在する序列観念ですね。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。自由とは思考停止の言い逃れになっている。

とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)     

 

>(翻訳・編集/川尻)   

 

 

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閲覧数71 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/05/15 00:18
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