2023年06月01日(木) 

 

>現代ビジネス   >「日本は神の国である!」と言われるようになったワケ 「万世一系」に意味を見出した人たち   >辻田 真佐憲 の意見 • 7 時間前   

>「戦前」とは何だったのか。   

>神武天皇、教育勅語、万世一系、八紘一宇……。   

>右派も左派も誤解している「戦前日本」の本当の姿とは何なのか。   

>本記事では、近現代史研究者である辻田真佐憲氏が、「万世一系」についてまずは教育勅語から、くわしく解き明かす。   

>※本記事は辻田真佐憲『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』から抜粋・編集したものです。   

>中国に学んだ末の「神の国」   

>大日本は神国なり。   

>南北朝時代の公家、北畠親房は『神皇正統記』をこのように書き起こし、その理由を続けた。   

>天祖(あまつみおや)はじめて基(もとい)をひらき、日神(ひのかみ)ながく統を伝へ給ふ。   

>我国のみ此事あり。   

>異朝には其たぐひなし。   

>此故に神国といふなり。   

>日本は、アマテラス(天照大神、日神)の直系である神武天皇の子孫によってずっと統治されている。   

 

日本人は人間序列を形成していますね。   

 

>他国では途中で王朝が断絶しているため、そのような例はない。  

 

他国では人間に対する判断が厳しい。中国人は実の親であっても子供が呼び捨てにする。   

 

>それゆえに、日本は神の国である。   

 

我が国の神は安全ですね。   

 

>天皇が神の子孫だからという単純な論理ではない。   

>これは、中国の思想を学び、内面化したことで、ついにみずからは中国よりも優れていると結論づけた、歪んだ自意識だった。    

 

日本語では批判精神 (critical thinking) が育たない。考え自体が成り立たない。     

 

>中国には、易姓革命という考え方がある。   

>中国の王朝は、天命を受けた家系によって統治される。   

>ただ、無道な君主があらわれて民を苦しめると、天命は別の家系に移る。  

 

「中国には地球の人口の約6分の1の人が住むが、実際は秦朝時代から中国はずっと『1人』しかいない、驚くべき専制国家。高速で物を運べる機械のようなものだが、逆に言えばとても危険な機械だ」艾未未(アイ・ウェイウェイ)  

 

>すると、現王朝が終わりを迎えて、新王朝が開かれる。   

>すなわち、天「命」が「革(あらた)」まり、君主一族の「姓」が「易(か)」わる。   

>つぎつぎに起こる王朝交代を理論付け、新王朝の支配を正当化するロジックだった(天命があらたまらないうちは、臣下は現王朝を支えなければならない)。   

>日本人はこの論理を学び、ふと気づいた。   

>ならば、一度たりとも王朝が変わっていない日本はどうなのか。   

>天皇家は、善政を敷きつづけた高徳の家系であり、天皇家をいただく日本は、世界一の高徳の国ではないか──。    

 

序列観念を信奉するわが国においては、商家においても老舗が多い。してみれば高徳の商人が多いのか。      

 

>このような考えはけっして、日本人の独りよがりでもなかった。   

>宋の太宗は、日本人の学僧奝然(ちょうねん)に面会したおり、日本について「島夷」にすぎないのに「古の道」を実践していると嘆息したと『宋史』に記されている。   

>また、中国の代表的な古典『孟子』は、易姓革命を肯定するがゆえに、日本に運ぼうとするとかならず船が難破するともいわれた。   

>上田秋成の『雨月物語』の記述が有名だが、元ネタは明末の随筆『五雑組(ござっそ)』である。   

>ひとつの家系が絶えずに永遠につづく──すなわち、万世一系。   

>ここに大きな意味を見出したのが幕末の後期水戸学であり、これを引き継いだ明治の教育勅語であり、昭和の『国体の本義』であった。  

 

他人の受け売りとその後追いはわが国民の伝統ですね。自己の発想と未来を切り開く指導性は皆無ですね。これらが現今の日本病の病因でしょうね。       

 

>現在でも、右派が男系男子にこだわり、選択的夫婦別姓に反対する理由もここに関わっている。   

 

そうですね。中国人のような夫婦別姓では人間序列は守れませんね。     

 

>『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』第2章ではその思想的系譜をたどってみたい。   

>教育勅語の核心は「取り戻すべき」?   

>今回はまず、教育勅語より筆を起こしたい。   

>教育勅語は、明治天皇より1890(明治23)年10月に下された、教育の基本理念である。   

>帝国議会の開院を控えて、日本固有の倫理観を示し、無軌道な自由民権運動を抑制するため、法制局長官の井上毅と枢密顧問官の元田永孚(もとだながざね)によって起草された。  

 

自由とは意思の自由の事である。しかるに日本人には意思が無い。だから、自由自体にも意味がない。自由のはき違えが起こる。それで不自由を常と思えば不足なし。    

 

>小学校の儀式では校長によってうやうやしく読み上げられるなど、一種聖典のように慎重丁寧に扱われた。   

 

礼儀正しい日本人ですね。日本文化には形式があって内容が無い。これは我が民族が無哲学・能天気の為である。          

 

>教育勅語は、敗戦後の1948(昭和23)年、衆議院で排除、参議院で失効確認の決議が行われた。   

>にもかかわらず、現在でもしばしば話題にのぼるのは、政治家などのあいだから、その普遍性や復権を訴える声が絶えないからだ。   

 

日本語の文法には階称 (hierarchy) がありますからね。日本人は無意識のうちに序列には執着しますね。日本人の協力は、序列による協力で力を発揮する。         

 

>近いところでは、2017(平成29)年、稲田朋美防衛相が国会質疑で、教育勅語の核の部分は「取り戻すべき」だと述べ、その核の部分として「日本が道義国家を目指すべきである、そして親孝行ですとか友達を大切にするとか」をあげた。   

 

親孝行は序列メンタリティ由来の発想ですね。中国から来た留学生は、’日本語の (相対) 敬語は難しい’ という。      

 

>また2018(平成30)年、柴山昌彦文科相が記者会見で、「現代風にアレンジすれば道徳の授業などに使える分野が十分にある」として、やはり教育勅語を部分的に肯定した。   

 

日本人の丁寧とぶっきらぼうは、表裏一体の関係にありますね。下に行くほど待遇が悪くなる。       

 

>このような部分的肯定論は、首相経験者だけでも、吉田茂、池田勇人、田中角栄、中曽根康弘、森喜朗、麻生太郎などによって繰り返し述べられており、けっして珍しいものではない。   

 

それは日本人の第二の天性でしょうね。   

 

>教育勅語の喪失が、社会の荒廃と結び付けられることもしばしばある。   

>安倍晋三のブレーンのひとりと報道されたこともある、政治活動家の伊藤哲夫はその著書『教育勅語の真実』でこう述べている。   

>かくして(引用者註、教育勅語の喪失により)日本社会の美質は年を経るごとに力を失っていき、老人の孤独死や親殺し・子殺し、若者のニートや引きこもり、教育現場の混乱、子供たちの方向性喪失、モラルなき政治の横行など、今日の殺伐とした社会が出現していったといえるでしょう。   

 

日本人には意思が無い。だから、加害者意識がなくて被害者意識ばかりがある。罪の意識がないので深刻な反省には至らない。これはアニマルと同じである。   

 

>そんな単純な──と思うかもしれないが、こういう主張は戦後絶えず行われてきたのである。   

 

無哲学・能天気の状態では、我々は教育勅語から逃れられませんね。   

 

>*   

(略)  

 

 

 

 

.

 

 

 

 

 


閲覧数92 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/06/01 18:06
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
シンちゃんさん
[一言]
明るい未来社会を築こう
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このアルバムのURL
https://e-jan.kakegawa-net.jp/blog/blog.php?key=855685