2024年07月22日(月) 

 

>現代ビジネス   >ただ反対するだけの野党にはウンザリ…橋下徹「野党が目指すべきは政権『交代』よりも政権『変容』」   >橋下徹(元大阪府知事・元大阪市長)によるストーリー・   >8時間・   

>黒船なき令和の日本で、革命なき安逸の日々のなかで、激烈な政権交代は起きるのか?   

 

起きないでしょうね。日本人には世界観が無い。だから、来るべき世界の内容を詮索しない。国民には斬新な内容の未来社会を求める情熱も無い。      

 

>しかし、いま変わらなければ――かならず日本は、沈む!   

 

そうですね。我が国は誰が見ても衰退途上国ですね。      

 

>百戦錬磨の戦略家、橋下徹(55歳)。   

>時代を見定め、歴史を洞察し、日本人の本質を透徹した先に見えた悪魔的リアリズム、それが「政権変容論」だ。   

>橋下氏は言う。   

>「『政権変容』が劇的に新しいのは、自民党がどうであろうと関係なく、野党が腹を括って決断しさえすれば次の総選挙で実現できるところです」   

 

そうですね。野党は自民党にしがみつく必要は無いのです。ただ新しい世界を国民の前に提示すればよい。      

 

>2024年の選挙から、グレートリセットは始まるのだ。   

 

そうあって欲しいものですね。   

 

>7月19日発売の最新刊『政権変容論』(講談社刊)から、特別に内容を抜粋してお届けしていこう。   

>『政権変容論』連載第4回   

>『橋下徹「国民には民主党政権の苦い記憶がまだ染みついている」…自民党に嫌気が差しても「政権」が変わらないワケ​』より続く   

>野党のあるべき姿   

>55年体制の、与党の提案に対して野党が必ず抵抗・反対するという構図。   

>この茶番劇に国民は辟易としています。   

 

そうですね。しかし無哲学・能天気の日本人にはこれしかない。永久の茶番人生ですね。      

 

>ときにはそのような抵抗・反対が必要だとしても、やはり今の日本社会の、いや国際社会の課題を解決するための政策をいかに実行するかについて、建設的な議論を聞きたいのが国民の思いでしょう。   

 

そうですね。無哲学・能天気の民には建設的な話はない。   

 

>野党はただ反対するよりも、どう政策を実現するかにエネルギーを割いてほしい。   

 

そうですね。   

 

>ただし自公が過半数を得ていると、慢心して野党の言い分に真剣に耳を傾けません。   

 

そうですね。慢心に入り浸っているとそれでわが国は終わりですね。      

 

>自公の考えを押し通すために、野党の言い分を聞いたふりだけしてその場をしのぐのです。   

>そこで野党はいつも微々たる修正案だけを自公に飲ませて大きな成果があったと喧伝しますが、国民は野党の修正案など気にも留めていません。   

 

そうですね。浅薄な人間のする自己満足ですね。      

 

>国民民主党も必死になってガソリン税のトリガー条項凍結解除の協議を自公に迫りましたが、自公はのらりくらりと逃げます。   

>維新は旧文通費の領収書公開を自公に迫りますが、これまた自公はのらりくらりと逃げ続けます。   

>自公が過半数を割ったら      

>しかし自公が過半数割れになったらどうでしょうか?   

>自公は野党の言い分を飲まなければ政策を実現することができなくなります。   

>この自公が野党の言い分を飲むところで、これまでの自公政権に「変容」が起きるというのが政権変容の要諦です。   

>政権変容が起きると、野党の言い分のいくつかが政策として実行されていきます。   

>そして野党議員の中に政策を実行するための知恵と経験が積み重ねられていき、気づいたときには野党に政権担当能力が備わっている。   

>そこでいよいよ政権交代のステージになるのです。   

 

そうですね。おめでたい話ですね。    

 

>ところが今の野党にそうした大局観はなく、それどころか野党各党は自党の勢力を拡大することに精を出しています。   

 

そうですね。政治家には政治哲学が必要ですね。   

 

>特に野党第二党である日本維新の会は野党第一党になることに心血を注いでいます。   

>しかし実は、野党第一党がどこかなどに、国民はまったく関心がありません。   

 

そうですね。蝸牛角上の争いですね。      

 

>自公が過半数を維持したのであれば、野党第一党がどこの党になろうが政治に大きな変化は起きないのですから。   

>ここを国民はよくわかっています。   

>国民が真に求めていること   

>野党の中の第一党争いなど、コップの中の争いにすぎません。   

>永田町での立場が少し強くなったり、政党交付金が増額されたりすることを主目的とした保身そのものです。   

 

そうですね。   

 

>国民が強く求めていることは政権「変容」。   

>そのためには、是が非でも自公過半数割れに持ち込まなければならない。   

>野党第一党を目指すことなど国民にまったく響かないし、それを達成したところで国民の利益にもならない。   

>とにかく自公過半数割れ。   

>しかも政権交代ではなく政権変容を、野党は大きく目標に掲げるべきです。   

 

そうですね。野党は未来社会の青写真を国民に示す必要がありますね。      

 

>そしてこの政権変容の意味と必要性が国民に伝われば、それを実現しようとする大きな風が吹くことでしょう。   

 

そうですね。   

わが国は資源小国である。天然資源は不足しているが、人口は一億以上ある。決して小国ではない。この人口の頭脳を活用すれば、わが国は衰退途上国から脱することができる。

我が国には人手不足はあるが、頭脳不足の話はない。日本人は思考を停止しているが、それが当たり前のことになっていて頭脳不足とは考えられていない。

わが国は、無哲学・能天気の国である。だから、国民は歌詠みになる。バラバラな単語ばかりの歌詞には意味がない。だから議論がない。ただ、気分・雰囲気・感情を伝えることにより満足している。 

日本語は写生画の言葉である。現実 (事実) は見ればわかる。Seeing is believing. 現実の正解は一つしかない。問答無用である。だから、日本語はご唱和の内容になる。

非現実 (考え) の内容は見ることができない。だが文になる。だからその内容は文法を辿って行けば理解できる。文にならないものは考えではない。

矛盾を含まない文は、全て正しい考えを表している。考えは、一人一人違っているから、正解は無数にある。考えの優劣を競い合う議論も可能になる。     

 

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)  

 

体系のない日本人の発想は哲学には成らずして、空想・妄想になる。これを白昼夢というのかな。大学での哲学は成果が上がらないが、お陰様でわが国は、漫画アニメの大国になりました。  

体系的な考えは哲学になる。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.  

日本人には自己の考え (非現実) がない。だから、わが国のインテリは受け売り専門の人になる。その後追いに忙しい。思考を停止している人は、つかみどころのない人間になる。     

つかみどころのない人間への批判は愚痴・わがままとなり、議論は単なる言い争いに終始する。’和を以て貴しとなす’ の教えと事なかれ主義の圧力により人類の進歩は期待できない。   

 

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

 

大学などの高等教育機関で論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。

私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。そして無哲学の子供らしい大人になる。       

政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。  

我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)    

信無くば立たず。衰退途上国ですね。   

 

(略)

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数39 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2024/07/22 17:07
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