2023年06月15日(木) 

 

>現代ビジネス   >右派が誇り、左派が恐れる「戦前日本」…日本人が意外と知らない「戦前の正体」   >辻田 真佐憲 の意見 • 56 分前  

>「大日本帝国」は神話に支えられていた。  

>日本には、『古事記』や『日本書紀』などの神話がある。  

>これらの神話は、明治維新から大東亜戦争まで、どのように利用されてきたのか。  

>本記事では、前編〈戦前日本は「美しい国」か「暗黒の時代」か…知っているようで知らない「戦前」の「本当の姿」〉に引き続き、近現代史研究者である辻田真佐憲氏が、戦前とは何だったのか、神話と国威発揚との関係を通じて、戦前の正体について解説する。  

>※本記事は辻田真佐憲『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』から抜粋・編集したものです。  

>大日本帝国は神話国家  

>戦前とはなんだったのか。  

>『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』は、神話と国威発揚との関係を通じて、戦前の正体に迫りたいと考えている。  

>大日本帝国は、神話に基礎づけられ、神話に活力を与えられた神話国家だった。 

 

そうですね。我が国の政府は神話を国威発揚の為に利用したのですね。   

 

>明治維新は「神武天皇の時代に戻れ」(神武創業)がスローガンだったし、大日本帝国憲法と教育勅語の文面は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の神勅を抜きに考えられないものだった。  

 

そうですね。復古が日本人の努力の源でしたね。   

 

>また、明治天皇の皇后(昭憲皇太后)は神功(じんぐう)皇后に、台湾で陣没した北白川宮能久(きたしらかわのみやよしひさ)親王は日本武尊(やまとたけるのみこと)に、日本軍将兵は古代の軍事氏族である大伴氏(天忍日命(あめのおしひのみこと)の子孫)になぞらえられていた。  

>そして大東亜戦争(『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』では歴史上の用語としてこれを用いる)で喧伝されたスローガンのひとつは、神武天皇が唱えたとされる八紘一宇だった。  

 

そうですね。日本人には分かりやすい内容でしたね。   

 

>それ以外にも、国体、神国、皇室典範、万世一系、男系男子、天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅、教育勅語、靖国神社、君が代、軍歌、唱歌など、戦前を語るうえで外せないキーワードはことごとく神話と関係している。  

>もっとも、神話が重視されたといっても、大日本帝国政府が神社を縦横無尽に操り、プロパガンダをほしいままにしていたなどと主張するつもりはない。  

>戦前の宗教政策は一貫性に欠け、おおよそ体系的なものではなかった。  

 

そうですね。日本語の文法には時制 (tense) というものが無い。だから、日本人の非現実の内容は文に成らず意味も無く体系をなしていない。だが、’事の次第・成り行き’ 程度のことならわかる。      

 

>それでも、神話は戦前に大きな存在感をもっており、モニュメントやサブカルチャーなどで参照され続けたのである。   

 

そうですね。わが国の神話は ‘漫画・アニメ’ と同程度の普及を実現したのですね。   

 

>いわゆる国家神道をめぐるこれまでの議論は、政府や軍部の動きにとらわれすぎていたのではないか。  

>本書ではそのような「上からの統制」だけではなく「下からの参加」も視野に入れて、神話と国威発揚の結びつきを考えたい。  

 

そうですね。指導と呼応に関するわが民族性の考察ですね。わが国におけるサブカルチャーの高揚ですね。   

 

>いうなれば『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』は、神話を通じて「教養としての戦前」を探る試みだ。   

 

日本人には教養 (哲学) がない。だが、サブカルチャーには反応がある。この反応なら英米流の高等教育は必要ない。  

サブカルチャーは ‘事の次第と成り行き’ を説明することはできるが世界観がない。国語に文法に時制がないと、独立した三世界を持つ世界観は得られない。だがサブカルチャーは大衆受けがものすごい。子供までが巻き添えになる。   

 

>そしてこの試みはまた、今後の日本をどのようなかたちにするべきか考えるヒントになることも目指している。  

 

サブカルチャ―は真の教養 (哲学) とは別物であることを我が国民に良く知らしめる必要がありますね。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。自由とは思考停止の言い逃れになっている。

 

とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。        

'為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん) 

 

>戦前の物語を批判的に整理する  

>そのため『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』は、細かな事実をあげつらって、神話の利用を解体してそれで事足れりとする立場にも与しない。  

>国家はなにがしかの国民の物語を必要とするからである。  

>たしかに、国民国家は近代に成り立ったものであり、虚構にすぎないといえばそうだろう。  

>だが、現在の国際秩序はその虚構をベースに動いているのであって、これを否定したところで無政府状態のカオスを招来するにすぎない。  

 

そうですね。現実の国家は非現実 (考え) の内容を基礎にして活動していますね。非現実を拒否したらカオスになりますね。      

しかし、サブカルチャ―も哲学も虚構 (非現実) であることは間違いありません。前者は辻褄が合わない、後者は辻褄が合う。これが大きな違いです。     

 

>そもそも虚構というならば、人権も平等も皇室制度も貨幣も共産主義もすべて虚構である。  

>そんなことをエビデンスやファクトなどのカタカナを振り回して、あらためて指摘しても意味がない。  

>むしろわれわれが本当に考えるべきなのは、そのなかから適切な虚構を選び、それをよりよいものに鍛え上げていくことではないか。   

 

そうですね。日本人の文化には形式があって内容が無い。形式は現実 (事実) の中にあり、内容は非現実 (考え) の中にある。   

だが適切な虚構を選ぶのは難しい。日本人には非現実 (考え) というものが無いからである。  

我々は ‘あるべき姿’ の世界観を手にすることが必要ですね。サブカルチャ―と哲学を区別しないことは危険です。サブカルチャ―では理想の世界に到達できない。事の次第とその成り行きに終始して非建設的な話になる。      

たとえば生まれた時には宮参りをして、結婚式はキリスト教会で挙げ、死んだ時は葬式仏教のご厄介になるということである。これでは万人からの信頼が得られない。考え (非現実) が成り立たないからであ。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’(あるアメリカの国務長官)   

 

>戦後民主主義の永続・発展を望むにせよ、21世紀にふさわしい新しい国家像を描くにせよ、自分たちの立場を補強する物語を創出して、普及を図るしか道はない。  

>このような試みが十分に行われていないから、戦前の物語がいつまでたってもきわめて中途半端なかたちで立ちあらわれてくるのだ。  

 

そうですね。わが国はサブカルチャ― (二次元文化) の国である。だがカルチャー (哲学) がない。スコラ哲学もインド哲学も受け入れていない。見ることのできない内容 (考え) は嘘ということになっている。非現実は相手にされない。   

二次元文化の内容は ‘漫画・アニメ’ として見ることができる。だが、本当の内容ではない。興味をそそる嘘である。英米流の高等教育無しでも楽しむことができる内容である。  

 

>「感染症」を終わらせるためには、怖い怖いと「自宅」に立てこもるのではなく、積極的に「ワクチン」を打たなければならない。  

>そこで本書では、「原点回帰という罠」「特別な国という罠」「先祖より代々という罠」「世界最古という罠」「ネタがベタになるという罠」という5つの観点で、戦前の物語を批判的に整理することにした。  

>批判的というのはあえて述べるまでもなく、物語にはひとびとを煽動・動員するリスクもあるからである。  

 

確たる目的も定まらずして、興味をそそる物語は危険そのものですね。   

 

>このような物語の構造を知っておくと、今日、軍事的な野心を隠さない他国、たとえばロシアや中国の動きを読み解くときにも役立つかもしれない。   

>戦前的なものの再来は、なにも現代日本だけで起きるとは限らないのだから。  

 

そうですね。   

「中国には地球の人口の約6分の1の人が住むが、実際は秦朝時代から中国はずっと『1人』しかいない、驚くべき専制国家。高速で物を運べる機械のようなものだが、逆に言えばとても危険な機械だ」 艾未未  

 

中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 (お) う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語 '三国志' は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。独断専行に陥りやすい。印欧語族のインド哲学を経文 (漢文) に表すことが至難の業であることがわかる。経文など漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。

・・・・・

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北狄 (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。   

 

>また、北朝鮮の指導思想(金日成・金正日主義)と日本の国体思想はしばしば類似性を指摘されるけれども、その比較をたんなる印象論で終わらせないためには、国体思想の核心を正しく掴まなければならないだろう。 

 

北朝鮮には序列社会がありますね。言葉遣いをみるとそれがわかりますね。  

 

>もっと身近なところでは、神話の知識はときにサブカルチャー作品の読解にも役立ってくれる。  

>昨年公開された新海誠監督の『すずめの戸締まり』は、明らかに天の岩戸開き神話が元ネタのひとつになっているし、主人公の岩戸鈴芽(すずめ)が宮崎県と目される場所より船に乗り、あちこちに立ち寄りながら東に進むストーリーは、神武天皇の東征をほうふつとさせる。  

>その意味するところは、しかし、神話を知らなければ掴みようがない。  

>いずれにせよ本書は、過度な細分化で物語を全否定するのでもなく、かといってずさんな物語でひとびとを煽動・動員するのでもなく、両者のあいだの健全な中間を模索することで、目の前の現実に役立てることをめざしている。 

 

二次元文化を脱出して本当の文化を手に入れるべきですね。空想・妄想相手では国の未来は無いですね。      

 

>この目的のため、『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』では、銅像や記念碑などの史跡も積極的に取り上げた。  

>現地に足を運んで、歴史を五感で味わってもらいたいからだ。  

 

二次元文化はわかりやすいですからね。見ることができるから支持者が大勢いますね。高等教育を必要とせず大勢力となる可能性がありますね。真の目標が定まらずまことに危険ですね。          

 

>歴史を一部の専門家やオタクの専有物にせず、また右派や左派のイデオロギーの玩具とせず、ふたたび広く教養を求めるひとびとに開放してその血肉としてもらうこと。  

>それが新しい時代のとば口に求められていることだと筆者は強く信じている。  

 

 

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閲覧数98 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/06/15 10:10
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