>東京新聞 ><つなぐ 戦後78年>水戸空襲78年の日 戦争体験語り継ぐ >1 日 > 太平洋戦争の最中、300人を上回る死者が出た水戸空襲から78年になった2日、戦争を体験した世代による講話会「わたしは戦争を忘れない」(水戸市立博物館主催)が水戸市のみと文化交流プラザであり、約100人が耳を傾けた。 >水戸市に疎開していた田添洋子さん(88)と海軍飛行予科練習生(予科練)だった大谷岩男さん(92)が、自身の経験を基に戦争の恐ろしさを伝えた。(長崎高大) >◆田添洋子さん 88歳 「戻ったら、一面黒焦げでぼうぜん」 > 東京都北区に住んでいた田添さんは、米軍機が飛来するようになったため、一九四四年九月から父親の地元の水戸に疎開した。 >現在の水戸芸術館にあった五軒国民学校に入学し、当初は東京と水戸の教育方針の違いに驚いた。 > 田添さんは「東京の下町はそれほどでもなかったが、水戸はさすがに尊王攘夷の本場で、徹底的に『尽忠報国』の教育を受けた」と振り返る。 >国民学校で藤田東湖の漢詩を暗唱したり、うまく行進ができて褒められたりするうちに「軍国少女」になっていった。 > そして四五年八月二日に米軍機百六十機が水戸を襲った。 >田添さんは同市八幡町の祇園寺近くの自宅におり、家族とともに市街地とは逆方向の雑木林に逃げた。 >空襲は午前零時半から一時間半ほどだった。状況が落ち着いて帰宅できたのは明るくなってからだった。 > 田添さんは「とにかく物音がすごく、『バリバリ』『ガランガラン』という音が常に聞こえた。 >家に戻ってきたら一面黒焦げで、ぼうぜんとした。 >ひどい臭いがしたことは覚えている」と当時の様子を語った。 >◆大谷岩男さん 92歳 予科練入隊時、母は泣いて猛反対 > 大谷さんは、戦争映画を見たことがきっかけで予科練に志願。 >和歌山県で訓練した後、四五年六月に筑波海軍航空隊(現在の笠間市)に転属した。 >入隊時は母親に泣いて猛反対されたといい、「今になってみると自分勝手で軽率だったと思う。 >人生で最大の親不孝をした」と話した。 > 終戦後に水戸市金町の自宅に戻ると、家は全て焼けていた。 >家族は防空壕(ぼうくうごう)の穴にトタン板を乗せただけのバラックに住んでいた。 >全員が生きていた。 > 大谷さんは「再会すると急にただの十四歳の少年に戻り、うれしくて涙が止まらなかった」と振り返った。 > 大谷さんは会場の子どもたちに向けて「戦争は、食べ物も着る物もなく、住む家も焼かれ、惨めな生活をしなければならない。 >君たちに、自分の遭った過酷な体験をさせたくない。 >大切なことは、平和の尊さ、戦争の悲しさを思い起こし、戦争に負けたことを風化させないことです」と訴え掛けた。
太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。 太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。 日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。 人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。 好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦争でも 原爆投下にゃ勝てやせぬ。泣いて崩れた敗戦日。 ‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
ウクライナはソ連崩壊により核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに核兵器使用をちらつかせて恫喝した。 これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消滅した。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すものと1967年 (S42) 12月に 佐藤栄作首相は説明した。 日本人のお花畑はもうない。 「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領) ‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’ (マシュー・ポッティンジャー) ‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相)
日本人は議論下手である。だから相手と交渉ができない。しかたがないから世界の事を自分一人で決める。この世は自分と相手とで成り立つ世界であるということを忘れているようだ。 日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。 日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)
マッカーサ元帥は日本人を以下のように考えていました。 ‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
英米の高等教育は子供が大人になる為の教育である。子供は現実 (事実) に関する知識のみを持っているが、大人には非現実 (考え・哲学) に関する知識もある。それを若者に持たせるのが彼らの高等教育である。 日本人には非現実に関する知識がないのでわが国では英米の高等教育がなりたたない。だから、日本人は子供らしくみえる。 非現実の内容を現実の内容に転換する方法を見つけることができたら、人間固有の創造力を発揮したことになる。日本人は創造力に欠けている。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり' 上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)
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