>『菊と刀』を読んだのがいつだったかは、定かではない。 >たぶん、教師になりたての頃ではなかったかと思う。 >すごい衝撃を受けた。 >一度も日本を訪れたことのない、しかも日本語は片言隻語をも解さないアメリカ人女性が,日本人の自分さえ知らなかった日本の歴史を、自分さえ気づかなかった日本人の心の奥底を、かくも見事に描き出すとは、いったい彼女は何者であるのか―。
我々もそのようにして外国の歴史を、外国人の心の奥底を描き出すことができるとありがたいですね。
>今でも心に残っている彼女の言葉のひとつに、こんなのがある。 >英米人は感謝には〝サンキュー〟、謝罪には〝アイムソリー〟と使い分ける。 >しかし、日本人は謝罪の「すみませんでした」という言葉を、相手への感謝の場面にも使う。 >「恩」を受けたことは、自分の至らなさのせいだとして謝るのである。 >これが、日本人の謙虚さだという。
それは序列社会 (上下社会) の仕来りですね。序列メンタリィティの持ち主ならではの道徳ですね。
>著者ルース・ベネディクトは、終戦間際の対日戦略と戦後処理政策のために、アメリカ戦時情報局から日本人の国民性の研究を委嘱された。 >その成果を終戦一年後に、彼女は『菊と刀』として世に問うたのである。 >いうなれば、それは一種の政治的論文であるが、そんなプロパガンダを微塵も感じさせない、すぐれた学術論文であった。
‘敵を知り己を知れば百戦あやうからず’ ですね。
>かたや日本の戦略はといえば、「鬼畜米英」を旗印に欧米文化の影響を排除、学校から英語を駆逐し、国粋主義一辺倒の教育がまかり通っていた。
海外を知る機会を失いましたね。
>「敵を知り己を知らば百戦危うからず」は、東洋の英知であったはずなのに、お株は見事に奪われたのだ。
日本人は浅はかであった。’論語読みの論語知らず’ ということですね。
>これでは負けるのが当然というのが、そのときの偽らざる読後感であった。
好きで 好きで大好きで死ぬほど好きな戦争も原爆投下にゃ勝てわせぬ。泣いて崩れた敗戦日。
>そんなわけで、わたしは彼女の描いた日本および日本人の昔の姿を、よくぞこんなに微に入り細を穿って調べ上げたものだと、その努力に対しては満腔の敬意を惜しまなかった。
皆さんそうでしたね。
>だが、彼女の描き出した昔の日本をそのまま肯定するわけにはいかなかった。 >なぜなら、わたしにとって過去は否定すべきもの以外の何ものでもなかったからだ。
そうですね。変り身の早さは日本人の得意芸ですからね。
>わたしを含めて多くの若者は、戦後の進歩主義思想を信奉し、ひたすら日本の民主化を目指す毎日が続いていた。
日本人にはリーズン (理性・理由・適当) がない。リーズナブルな判断ができない。進歩めがけてまっしぐらでしたね。
>われわれは一切の過去と決別し、未来を切り開こうとした。
日本人には世界観がない。だから、無哲学・能天気の状態で過ごしている。日本人の思い付きはその場限りであるから哲学にならない。 ‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
>日本人の古い体質は一顧の値打ちもなかった。 >われわれの青春を奪ったのは「過去」であったし、われわれの街と国を破壊したのも「過去」であった。
日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任もない。兎角この世は無責任ということになる。 ‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
>「過去」には、なにひとつ良いものはなかったー。 >以来、『菊と刀』とは縁を切った。 >わたしが古い日本人の心性をことさらに拒絶したのは、ともすれば原点回帰しようとする自分の古い惰性が怖かったからでもあった。 >そして、何十年かが過ぎたー。 >現在の日本と日本人は、ルース・ベネディクトの描いた世界とは隔世の感がある。
そうですね。でも、それは上辺だけですね。日本人はWGIPを理解していない。もちろんアメリカ人もWGIPの非有効性の原因を理解していない。
>古きよき時代の日本は失われてしまったのか。 >そしてわたしの心には、かつて意識的に退けた過去への思慕が芽生えはじめていた。
鮭などの魚も一度海に下っても、また生まれた川に返ってきますね。生物的な本能のようですね。
>心の変化を呼びおこしたものは、ひとつには老人の懐古趣味であろうが、直接にはこのところ取り組んでいることわざ研究のためでもある。 >日英のことわざとその背後にある文化を比較していると、心にたぎるものはもっと日本文化を知りたいという渇望であった。
文化人類学の知見は貴重ですね。
>何十年ぶりかで,わたしは『菊と刀』を手にしていた。 >もう一度、『菊と刀』をしっかりと読んでみたいー。 >それが、今回「なごやかタイム」で本書を取り上げる理由である。 >(平成二十四年九月)
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