>超ミニマル・ライフとは、「どうでもいいことに注ぐ労力・お金・時間を最小化して、あなたの可能性を最大化する」ための合理的な人生戦略のこと。 >四角大輔さんの新刊『超ミニマル・ライフ』では、「Live Small, Dream Big──贅沢やムダを省いて超効率化して得る、時間・エネルギー・資金を人生の夢に投資する」ための技法が書かれてあります。 >本書より、本来のあなたを取り戻すための「自分彫刻」についてご紹介します。 >限りある「命(時間)」の無駄遣いをする人が日本には多すぎる >「You Only Live Once──人生は一度だけ」 > 英語圏では何かにつけて耳にするフレーズだ。 > 寿命あるあなたにとって「時間」とは「命」。 >しかも、人生の締め切りは予告なくやってくる。 > なのに、なくてもいいモノを買うため、どうでもいいコトを得るために、限りある「命(時間)」の無駄遣いをする人が日本には多すぎる。 > ニュージーランドに暮らして約14年。 >移動生活を送りながら65ヶ国を視察するなど外から日本を見てきた筆者は、哀しみをもってそう言い切れる。 >「どんなにがんばっても、常に時間が足りない」
人の受け売り後追いで忙しい。
>「欲しいモノを買い、不便なく暮らせているが満たされない」
ナウな感じがそうさせている。
> もし、あなたがそう思っているなら、それもあなたのせいじゃない。 >その原因は現代日本の「社会システム」にあるからだ。
そうですね。社会のシステムはその構成員の考え方に依存していますね。日本人には現実 (事実) があって非現実 (考え・哲学) がない。日本人が思考を停止しているのは非現実の内容を載せる構文が日本語文法に無いからである。 日本人にとって哲学は難解な学問である。しかし、インド人にとって難しくはない。社会の上層部から下層部までインド哲学の持ち主である。だから、インド教徒のインド人は仏教に対しても理解を示している。’釈迦はインド教徒として生まれ、インド教徒として葬られた’ という。
>なぜ、ミニマリズムの国が世界トップクラスの大量消費社会になってしまったのか > その昔、日本はミニマリズムの国と評されていた。
清貧は美徳でしたね。
> あの故スティーブ・ジョブズが心酔し、Apple製品のミニマル・デザインの起源になるほどに。 > 装飾を最小限とする美意識、資源や食べものを無駄にしない生活様式、細部を尊ぶ思想が世界中から敬(うやま)われていた。
日本人は持続可能な生活を実現していましたね。
> それが今や、世界トップクラスの大量消費社会となり(※1)──需要をはるかに超えたモノやサービスを売るために──世界有数の広告大国になってしまった(※2)。 > 供給される情報も過剰で、その大半が広告ベースだ。
そうですね。資本主義のあだ花ですね。
>メディアやSNSから投下されるトレンドや虚像が「あなた自身」を見失わせ──他人と比較・競争させて劣等感と焦燥感を煽(あお)り続ける。 >「役に立つといわれるスキルや資格」 >「ネットで常時拡散されるお役立ち情報」 >「みんながやっているというプレッシャー」 >「あなたはお金で何かを買っているのではない。稼ぐために費やした人生の一部で買っているのだ」
そうですね。自己の基準を持たない人はあわれですね。
> それだけじゃないだろう。 >「大量生産されるファストファッションや格安商品」 >「流行・お得・便利というマーケティングメッセージ」 >「SNSで増幅したつながりと、組織での面倒な人付き合い」 > 家を埋め尽くすモノ、見栄のためのブランド品、余計な情報、他人の評価やステータス──そんな無用の長物を得るために際限なく稼ごうと必死に働き、重いストレスと疲労に苦しむ。
そうですね。見栄と外聞の為の品ぞろえが多いですね。
>「あなたはお金で何かを買っているのではない。 >稼ぐために費やした人生の一部で買っているのだ」 > これは──収入の9割を寄付し、公邸ではなく農園に住み続けた──「世界一貧しい大統領」と言われ愛された、ウルグアイのホセ・ムヒカ氏が、日本に向けて発した言葉だ。 >「世界一便利」と評される日本は、みんなの過重労働やサービス残業が支えている
そうですね。ブラック労働に限りなく近づいていますね。
> いつの間にか大量の不要物を背負い、動けなくなっている。 >必要以上を追い求め、何かを得ては快感を覚え──すぐ冷めては「これじゃない」と次々に手を出す。 >稼いでも稼いでも喉の渇きは満たされず、不安と焦りという「渇望症」があなたを蝕(むしば)む。 > 海外から「さすがおもてなしの国」と、従順さや勤勉さが絶賛されて「世界一便利」と評される日本は、みんなの過重(かじゅう)労働やサービス残業が支えているだけ。
そうですね。見栄と外聞の為ですね。
> ──そんな行きすぎた便利社会を求めるあなたは、自分の首を絞めているだけなのに──。
‘過ぎたるは猶及ばざるが如し’ ですね。日本人には自己の基準がない。
> この「システム」のせいで人生が仕事に支配され、命を消耗させながら働いている。 >心や体の健康に問題を抱え、自殺や過労死が後を絶たない──筆者も大切な人を何人も失っている。 >「仕事って、生きるって、こんなに楽しいのか」 >「この現状を何とかしたい」 > 本連載にはそんな想いがこもっている。 >会社員時代に希望を失い、心身の不調に苦しんだ筆者の経験もその想いを熱くする。 >「生きることは働くことで、仕事とは苦役だ。
‘人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし’ ですね。
>人間界は複雑で、社会は過酷だ」 > こう思い込んで失意の底にいたが、意識と行動をある方向へシフトするや否や、苦境からもシステムからも抜け出すことができた。
人生観は ‘気の持ちよう’ ということですね。
> 今では、「この時代に生まれてよかった。 >仕事って、生きるって、こんなに楽しいのか」と思えるようになったのである。
あなたには ‘ラッキーカムカム’ ですね。
>「減らす」「手放す」「軽くする」「削ぎ落とす」といった引き算をしただけ > ある方向へのシフト、システム脱却とは全く難しい話じゃない。
それは ‘序列社会の序列人間でなければ’ の話ですね。
>「減らす」「手放す」「軽くする」「削ぎ落とす」といった引き算をしただけ。
それは断捨離というものですか。
>簡潔に言うなら、暮らしと仕事──つまり生き方──をミニマルにしただけだ。 >「増やす」「所有する」「大きくする」「成長し続ける」という足し算は多大な労力を要し、莫大なお金がかかる上に終わりがない──あなたを追い込むシステムから逃れることもできない。
そうですね。持てる者の悩みは増大しますね。
> だが、引き算には必ず終わりがある。 >すでに手にしている物事を手放すだけだから誰にでもできる。 >なのに日本では、実践できている人は1%もいない。
自分の会社が倒産して裸になった人もいますけれどもね。
>それが悲しいのだ。 >ミニマル術とは、本来のあなたを取り戻すための「自分彫刻」 > ミニマル術とは、本来のあなたを取り戻すための「自分彫刻(※3)」と考えるとわかりやすい。 >不要な物事を徹底的に削り取った後に残るのが「あなた自身という彫刻作品」だ。 >「あなたが(他の誰でもない)あなたであり続ける」という、最もミニマルな状態で生きることができて初めて、真に豊かな人生を手にすることができる。
そうですね。しかし、それは日本人には難しいでしょうね。日本人は個人主義に馴染めませんね。常に ‘みんなが、、、みんなが、、、’ と言っていますからね。
> 不安定な社会や経済に振り回されず、不確かな情報や他人の価値観ではなく「自分の意思」に従って生きる──システムに狂わされない人生──それが目指すべきミニマル・ライフである。
日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文の内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。 つまり、無心である。ものを言ってもそれが行動には繋がらない。だから、結果的に ‘うそぶく’ 人ということになる。これが、相手に不信の念をいだかせる。考えがあり、その実現に強い意思を示すという手順がわが国には存在しない。
>意識を自分の「内」に向け、一番大切な「すでにあるもの」に気付く > そんな人生にシフトすべく、自分に「無いもの」ばかりに目を向けるのはやめよう。 >「外」に答えを求めるのはもうやめよう。
それは難しいですね。日本人は思考を停止していますから。’人の振り見て我が振り直せ’ ですね。
> 永遠に満たされることのない、「無いものねだり」という渇望の無間(むげん)地獄に引きずり込むシステムと決別しよう。 > そのためには、意識を自分の「内」に向け、一番大切な「すでにあるもの」に気付く必要がある。 >それは、あなたという原木の中に眠る完璧な彫刻作品のことだ。 >「ぼくは答えを知らない。 >“答え”はあなたの中にある」 >「その“唯一無二の彫刻作品”を削り出すお手伝いをするのが、ぼくの仕事です」 > これは、筆者がレコード会社でプロデューサーをやっていた頃、デビュー前のアーティストに伝えていた言葉だ。
アーティストは非言語の世界に住んで活躍しますね。
> 当時のように手取り足取りお手伝いできればいいが、今はニュージーランドの辺境の森に暮らすため、それが叶わない。
' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)
>『超ミニマル・ライフ』と、前著『超ミニマル主義』は、あなたの「自分彫刻」を終わらせるために書き上げた。 >あなた自らが彫刻家となり、その彫刻作品をありのままの形で削り出すのだ。 > だが、全てが過剰な日本では、モノやコトを削ぎ落とすのも、自分らしく生きるのも非常に難しい。 >だから「ミニマル・ライフなんて不可能に近い」と言いたくなる気持ちはわかる。 > そのためのノウハウは広範囲にわたり、数も膨大となる。 > それゆえ、血の通った活字としてまとめるのに苦労を強いられ、2冊の本を完成させるのに計5年の歳月を費やした。 > 書籍名に反し、かなりのボリュームとなっているが──複雑化しすぎて先行き不透明な──現代日本を軽やかに生き抜くため、システムに抵抗するための全技法を網羅できたと自負している。 >「人生で一番大切にすべきことのために生きる」と決意する > ここで念押ししておきたいことがある。 > 北欧諸国や、筆者が住むニュージーランドなどの「日本より格段にモノが少なく不便な小国」で「身の丈」で暮らす人たち向けならば、この1/5もいらないということを。 > そして、現代の貧困国や紛争国、我々の祖父母が子ども時代の日本では、ミニマル化の技術なんてそもそも不要だということも忘れずにいてほしい。 > 少なくとも今この段階では、「必要以上の何かを得るために、命の無駄遣いをやめる。
命の無駄遣いをやめることには賛成ですね。
>人生で一番大切にすべきことのために生きる」と決意していただきたい。
そうですね。
>(本記事は、『超ミニマル・ライフ』より、一部を抜粋・編集したものです)
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