2023年10月07日(土) 

 

>ポジションが低い男性が結婚相手に選ばれにくいのはなぜか。   

>雇用ジャーナリストの海老原嗣生さんは「女性が正社員で働くことが当たり前となった今、夫側が仕事をそこそこにとどめる夫婦の組み合わせが増えてもおかしくない。   

>しかし現状の日本の人事制度では、ヒラ社員でも年齢とともに給料が上がる。   

>これでは、男性は50代になるまで昇給昇進の可能性をあきらめきれず、家庭重視の決断をしにくい」という――。   

>相手が見つかるかどうかという切実な問題   

>前回は、子育て世代の育児負担が減り、自由時間が増えるような変革を考えました。   

>こんな方向に社会が変われば、「結婚してもいいな」「子どもも欲しい」と考える人が増えていくでしょう。   

>ただ、それでも大きな問題が一つ残ります。   

>それは、「ふさわしい相手が見つかるか否か」という切実な話です。   

>この時に、大きな障害となっているのが「昭和の結婚観」だと第10回目に書きました。   

>女性は「学歴や収入、役職などが自分と同等以上」の男性を求めがちです。   

 

そうですね。上昇指向ですね。日本人の向上心か。   

 

>それは、独身者調査などでも明らかになっています。   

>かつての「女は短大、4大は行くな」「女は一般職、男は総合職」という社会であれば、世の中のそこかしこに「自分より学歴も収入も上」の男性がいたでしょう。    

>現在は女性の大学進学率が男性と同等になり、大手企業での採用数でもほぼ半数まで上がっています。   

>必然、「自分より同等以上の男性」は減っている。   

>当然、基準に適う確率は下がり、パートナーが成立しなくなっています。   

>学歴・仕事が男女平等に近づく中、本来なら結婚観も今流にアップデートしなければならないのですが、この点が遅れている。   

 

日本語文法の階称の為でしょうね。   

 

>結果、生涯未婚率では、女性は高年収者が著しく高く、逆に男性は低年収者が著しく高いという非対称が起きています。   

>男女間の見えない格差      

>でも、短絡的に「女の人も、相手の学歴や収入、職業、役職、企業レベルにこだわらずにパートナーを探せ」なんて言うべきではありません。   

>昭和の結婚観がなくならないのは、今でも多くの面で、男女間には見えない格差(アンコンシャス・バイアス)が残っているからなのです。   

 

それが日本語文法の階称ですね。    

 

>ならば、こうした見えない格差を一つずつ、取り除くことが、本当の解決策でしょう。   

 

日本語を日本人から取り除くのは難しいです。   

 

>そう、これもアンコンシャス・バイアスという、やはり「心の問題」です。   

 

こうした心の問題は国語の問題ですね。     

 

>これから2回にわたりその処方箋を書いていきますが、初回は「仕事場面」での格差是正を考えます。   

>人事制度の実務を詳細に書くので、専門外の方には戸惑いもあるかと思われますが、平易な説明を心掛けますので、ぜひともお付き合いいただきたいところです。   

>ヒラ社員のままでも昇給を続ける不思議な仕組み   

>なぜ、「男のほうが収入も役職も上」という常識が壊れないか。   

>それは、日本企業がいまだに緩やかな年功制を敷いていることもその一因です。   

>世界各国の雇用に詳しい人だと、「欧米とて、給与を見れば明らかに年功カーブが存在するので、日本と変わらない」というかもしれません。   

>確かに平均給与を見ればそうでしょう。   

>ただ、欧米の場合は、「昇進していくエリート」が給与をどんどん上げ、それ以外の大多数は、それほど昇進も昇給もしていません。   

>だから「年上」といっても、一概に偉い・高給だなどという常識ははびこらないのです。   

 

欧米の社会は序列社会ではありませんからね。    

 

>一方日本は、加齢にしたがい、今でも半数程度の人が課長になり、それがかなわなかった人でも、昇給を続けます。   

>賃金構造基本統計調査から役職別に各年代の年収を試算していくと、ヒラ社員でも従業員1000人以上の大手企業だと、大卒者なら50代前半で、年収が950万円にもなり、それは30代前半のヒラ社員より150万円も多くなっています。   

>同様な比較をすると、従業員500~999人の準大手企業でも109万円、100~499人の中堅企業でも131万円も多くなります。   

>こうした状況を見ていれば、「年長者の多くは管理職となり」「なれなくても高給」といういわゆる年功主義が常識となっていくでしょう。   

 

日本語のメンタリティ (考え方) では年功序列が常識になりますね。    

 

>さらに、その年代はかつての「男性偏重」採用期にあたり、在籍者は男ばかりになっている。   

>そう、偉いor高給な人は男、という常識が増幅される構造です。    

 

我が国は男の社会ですね。女の進出は妨げられています。      

 

(略)      

>経営の意思次第で、日本の悪しき常識は払拭できる   

>現状は、毎回の査定でノッチが必ず上がり続ける「積み上げ方式」をとっています。   

>これを、「洗い替え方式」に変えたらどうなるでしょうか。   

>洗い替え方式とは、考査期間の評価が標準であれば、中位(12階段であれば6ノッチ)となり、業績に応じて高低するというものです。    

>その評価は文字通り洗い替えなので、前期のノッチなど考慮されず、また、次の期間の評価により上下動することになります。   

>たとえば、良い業績を残した翌期は一気に11ノッチまで上がるけれど、その次が駄目なら3ノッチまで下がるといった具合です。   

>こうした洗い替え方式となれば、できる社員は年齢に関係なく、一気に上位ノッチに位置し、それを維持し続けるでしょう。   

>そうした上位ノッチの常連者は、当然、昇級審査の対象となるべきです。   

>そこで、スピード昇進が起きる。   

>一方、評価の芳しくない社員は、どんなに年功を積んでも、下位ノッチに滞留し、決して昇級審査の俎上に上ることはありません。   

>そう、たったこれだけの「運用変更」で、社内にはびこる年功主義は一掃できるのです。   

>これを続ければ、年長者(主に男性)は偉い・高給という歪んだ常識は減じていくでしょう。   

>この人事運用の変更は、得をする人、損をする人が半々となります。   

>なので、社員をしっかり説得すれば、導入は可能でしょう。   

>ただし、滞留し続ける年輩社員には、新たな働き方=仕事はほどほどにして、家庭を大切にするという変更を促すことが必要となりますが。   

>30代で“あきらめがつく”ことのメリット   

>多くの企業がこの方向に人事制度を変えると、男女の意識にどんな変化が起きるでしょうか。   

>現状なら、査定のたびに小さな昇給を重ね続けます。   

>そうすると、うだつの上がらない人も、多少遅れながら、給与や等級を上げていくことになります。   

>そして、役職定年になるころ、「俺は課長になれなかったんだ」と初めて気づくでしょう。   

>これでは男性たちは、出世を諦めきれず仕事にしがみつき、家事育児を主にする決心がつきません。   

>洗い替え型の査定であれば、評価が低い人は昇給せず、当然、等級アップもしません。   

>それが続けば、30代後半あたりには、会社での将来は見えてきます。   

>そうした場合、パートナー間で、可能性があるほうに道を譲り、もう一方は家事・育児を主にするという決断がしやすくなるでしょう。   

>こんな変革が進めば、「うだつが上がらなくとも家事育児はしっかりやる男性」が増えます。   

>彼らなら、自分より“偉く”はなくとも、女性はパートナーとして見なすようになるのではないでしょうか。   

>「自分と同等か上でなければ」から、自分との比較ではなく、二人合わせてこれくらい収入があればいい、家事分担はこうすればうまくいきそう……と現実的な考え方になっていく。   

>そうすることで、ポジションや給料については自分より少し下のあたりまでウイングを広げることができそうです。   

>---------- 海老原 嗣生(えびはら・つぐお) 雇用ジャーナリスト 1964年生まれ。   

>大手メーカーを経て、リクルート人材センター(現リクルートエージェント)入社。   

>広告制作、新規事業企画、人事制度設計などに携わった後、リクルートワークス研究所へ出向、「Works」編集長に。   

>専門は、人材マネジメント、経営マネジメント論など。2008年に、HRコンサルティング会社、ニッチモを立ち上げ、 代表取締役に就任。   

>リクルートエージェント社フェローとして、同社発行の人事・経営誌「HRmics」の編集長を務める。   

>週刊「モーニング」(講談社)に連載され、ドラマ化もされた(テレビ朝日系)漫画、『エンゼルバンク』の“カリスマ転職代理人、海老沢康生”のモデル。   

>著書に『雇用の常識「本当に見えるウソ」』、『面接の10分前、1日前、1週間前にやるべきこと』(ともにプレジデント社)、『学歴の耐えられない軽さ』『課長になったらクビにはならない』(ともに朝日新聞出版)、『「若者はかわいそう」論のウソ』(扶桑社新書)などがある。   

> ----------  

 

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数67 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/10/07 03:47
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