>能力さえあれば、人間は豊かになれる―。 >そんな社会ははたして本当に平等と言えるのか。 >「白熱教室」のサンデル教授が本誌独占インタビューに応じた。 >これは日本のエリートへの緊急メッセージだ。 >実力も運のうち >多くの人が、自分の成功は努力だけで成し遂げられたものだと考えているでしょう。 >もし、あなたもそう考えているのであれば、それは大きな誤解であり、また傲慢な考えであると肝に銘じておく必要があります。 >『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房)で示したのはまさにこの点です。 >あなたが今の自分の地位にいられるのは、もちろんあなた自身の努力によるものもありますが、それ以上に両親の所得や家庭環境などの「運」に恵まれた可能性があるわけです。 >東京大学とハーバード大学の学生が参加した講義で、大学の入学試験に合格したことが、どれくらい自分の努力によるものなのかを議論したことがあります。 >アメリカのシンクタンク、ピュー・リサーチ・センターが'12年に発表した調査結果で、自分の努力がどれほど成功につながると思うかを調べたものです。 >これによると、アメリカでは実に77%もの人が、自分の努力が成功につながっていると信じています。 >ハーバード大学でも、多くの学生が、自分の合格は自分の努力のたまものだと信じていました。 >しかし、努力すれば成功できるというのはただの”幻想”です。 >それは「トップの大学に入った裕福な家庭の子どもの割合」を見れば明らかです。 >トップの大学に合格するには、当然猛勉強が必要です。 >その前提に立ったうえでも、明らかな格差が浮かび上がってきたのです。 >高学歴な親に生まれて >たとえば、東京大学の場合は、学生の60%以上が、日本の所得上位14%の家庭から来ています。 >ハーバード大学でも、3分の2の学生はアメリカの所得規模上位20%の家庭出身でした。 >さらに広げて、アメリカ東海岸にある8つの超名門私立大学郡アイビーリーグの数字も見てみましょう。 >アイビーリーグに通う学生は、所得規模の下位50%の家庭よりも、トップ1%からの家庭から来ている人が多いのです。 >アイビーリーグでは、親の年収が8万5000ドル(約1250万円)以下の学生には、授業料や寮代などが、すべて無料になるという寛大な援助を提供しています。 >それなのに、このような数字になってしまう。 >ここからわかるのは、高学歴の学生の親もまた高学歴・高収入である場合がほとんどだということです。 >つまり、学生たちは、親やさらにその先の代から、高水準の教育を受ける特権を受け継ぎ、享受しているのです。 >もちろん、私は大学入試のための努力を否定はしません。 >でも、常々学生に対して、その成功は本当に自分の努力のおかげだけなのかを疑うように促しています。 >もしかしたら、両親の所得や、家庭環境が、大学入試の合格に大きな影響を与えているかもしれないからです。
両親のDNAに関係があるでしょうね。
>世襲貴族が復活している >努力によって地位を獲得してきたと考える根本には、「能力主義」の思想があります。 >「能力主義」は、チャンスが平等であれば、勝者はその対価を得られる、というものです。
それは政治的な意味合いですね。遺伝子操作の話には関係ありませんね。
>誰しもが同じスタートラインからレースを始められるのであれば、努力した人間が勝つ。 >だから、努力は報われるのだ―。 >これが能力主義の魅力です。
それは一面の真理ですね。
>しかし、ここにはある欠点があります。 >たとえ同じスタートラインからレースを始めたとしても、一部の人だけが有利な環境で育っている可能性があるのです。 >たとえば徒競走で考えてみましょう。 >ある選手が、健康で栄養状態もよく、高級なランニングシューズを持っていたり、最高のコーチやトレーナーから指導を受けたりする一方で、そうしたものを何一つ持っていない選手もいる。 >彼らの競争は真の意味で平等と言えるでしょうか。
そう言った意味での平等はありえませんね。背の高さ一つを取ってみても平等はない。
>そこでは、努力とは無関係の要素が、レースの勝敗を決めている可能性があるのです。 >大学入試の場合は、親の所得や、家庭環境がそうです。 >しかし「能力主義」の世界では、そうしたアドバンテージは無視されて、結果だけが見られる。
そうですね。結果は常に存在しますね。
>すると、平等なレースのように見えるが、実際のところはそうではない。 >先ほどのデータからわかるように、生まれによる格差はいまだに存在しているのです。 >むしろ、「能力主義」によって格差が広がっている。 >格差の再生産により、現代に封建制の「世襲貴族」が復活しつつあると考えています。
現実の世界に平等などあり得ませんね。あるのは政治家の唱える平等だけです。それでも平等はあった方が良いですね。
>たとえば、裕福な家庭では、幼少期から教育に投資をし、いい大学に入学させることができる。 >しかし、貧困層は子どもへの教育投資を満足にできず、貧困のサイクルから抜け出せない。 >現代社会において格差は固定され、むしろ広がり続けているのです。
格差はいろいろな原因で発生しますね。
>こうして最初は「努力した者は報われる」という”平等”を約束していたはずの能力主義が、今では格差を正当化するものとして機能してしまっているのです。
能力主義が完全無欠の平等主義であると信じられたからですね。
>この主張に対して、こんな反論があります。 >それは、「低収入の家庭に生まれても、頑張れば成功することは可能である」というものです。 >もちろんそれが当てはまる人もいます。 >しかし、それはほんの一握りの人だけの話です。
宝くじの一等当選のようなものか。皆が当たるわけではありませんね。
>OECD(経済協力開発機構)のデータを見れば明らかです。 >これは、社会的地位の上昇に何世代かかるかを計測し、世界中の国を比較したものです。 >下位10%の家庭に生まれた人が中流階級に達するまでにかかった世代数を計測しています。
生まれた全ての人が中流家庭で育てられる必要があるというのでしょうかね。中流家庭は無理なので全てを下流家庭にするという事か。それともただの現象論か。
>この前編記事では、努力だけが成功につながるわけでない現状を解説してきた。 >続く後編記事『日本の貧困層が中流階級にのぼるのは困難だと言えるワケ…「運がよかった」人間が負うべき責任を考える』では、その中で成功したものように振る舞えばいいのか、また、平等なチャンスを与えるためにはどうしたらいいのかなど引き継き解説してく。
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「週刊現代」2023年9月30日・10月7日合併号より |