2023年10月08日(日) 

 

>一度決まったルールや決定が覆りづらいのも、自民党政権がずっと変わらないのも、他国と比べてデモやストライキが起きないのも、モラルや規範にやたらと厳格で他人の足を引っ張って悦に入ってしまうのも、すべて日本人の「自己家畜化」と関係するものである。   

>戦後から高度経済成長期においてはそれでも日本人は幸せだったが…   

>新たな主人とエコノミックアニマル化   

>話をいったん戦後に戻そう。   

>連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が日本を占領下においたのは、1945年から1952年までの7年間だった。   

>この間、GHQは憲法改正や五大改革(女性参政権の付与、労働組合の奨励、教育の自由主義的改革、秘密警察の廃止、経済機構の民主化)の指令を出し、特別高等警察、治安維持法、治安警察法などを廃止した。   

>言論や労働運動においても日本人は自由を取り戻したのだ。   

 

自由とは意思の自由のことである。しかし日本人には意思がない。だから自由そのものにも意義がない。  

しかし、日本人には恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。そして、恣意の自由は認められない。恣意の自由は ’自由の履きちがえ’ とされて禁じられている。だから日本人は ‘不自由を常と思えば不足なし’ という生活を送っている。   

 

>やがて1955年頃から高度経済成長期に突入すると、経済上の利潤追求を第一として異様なアクティブさで活動するようになった日本人は、欧米人から「エコノミックアニマル」との蔑称で呼ばれるようになる。   

>これは国にとっては経済が、個人にとっては仕事が、新たな「主人」になったという見方もできるだろう。   

>ともあれ高度経済成長期の日本における仕事とは、「みんなと同じこと」をすることであった。   

 

‘人の振り見て我が振り直せ’ ですね。   

 

>工場で製品を大量生産するにあたって、個性やオリジナリティは不要だ。   

>それよりはみんなと同じように、同じものを作れることに価値があった。   

>「みんな」至上主義   

>「みんなのために、みんなと同じことをやる」という教育は、日本人の感性とぴったり合致した。   

 

そうですね。没個性である。自己主張が見られない。出る杭は打たれる。    

 

>江戸の里山の頃から受け継がれてきた考え方であると同時に、富国強兵を掲げた明治期の集団主義教育とも重なる下地があったからであろう。   

>集団で暮らすためには、温和な家畜のように自主性がないほうがよい。   

 

それは社畜の原型ですね。    

 

>社会の制度も日本人の自己家畜化を後押しした。   

 

そうですね。日本語文法には時制がない。未来時制がないので日本人には意思が無い。日本人も家畜も意思が無い。だから大人しい。    

 

>成人男性にとっては仕事が人生の中心であり、福利厚生などの社会制度も「会社員と専業主婦」の家庭を標準にして設計された。   

 

何もかも決まっているのが良い。意思決定が必要ない。責任がない。       

 

>父が大黒柱となって生活費を稼ぎ、母が家事・育児・介護を一手に引き受ける。   

>いわゆる「日本の伝統的家族観」も、突き詰めればせいぜい明治〜昭和のモデルに過ぎないのだが、選択式夫婦別姓や同性婚に反対する自民党議員の大半はいまだにこの幻影にシンパシーを感じているようだ。   

 

そうですね。意思決定を要する事柄は自民党議員は反発しますね。     

 

>海外のビジネスパーソンからはエコノミックアニマルと皮肉られても、当の日本人たちは働くことに価値を見出し、全力で仕事に向き合っていたはずだ。   

 

そうですね。働くことは良い事だ。   

 

>なぜならそれが「お上」が提示する新たな美徳であり、指針であったのだから。   

 

そうですね。日本人は指示待ち人間ですからね。    

' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)        

 

>さらに好景気に沸く1980年代には、大企業のサラリーマンは「気楽な稼業」として認知されていく。   

>大企業の社員であれば、年功序列で自動的に昇進できた。   

 

大きいことは良い事だ。序列社会の欠点を露呈しましたね。親方日の丸に近い感覚ですね。      

 

>社畜=現代版の家畜   

>だがバブル崩壊後、1990年代に入ると日本社会の様相は徐々に変わっていく。   

>エコノミックアニマルから一転して、家畜ならぬ「社畜」という俗語が広く普及し始めたのもこの頃だ。   

>「会社+家畜」を語源に持つこの俗語は、サービス残業も転勤もいとわずに働く会社人間をバカにする意味合いを持つ。   

>エコノミックアニマルという言葉を使うのは海外のビジネスパーソンだったが、社畜は労働者本人が自分の労働環境を自虐的に表す言葉として「ブラック企業」と同様に広まった。   

>社畜=「現代版の家畜」と表現してもいいかもしれない。   

 

家畜にも社畜にも意思がない。意思の無い人間には責任もない。       

 

>モーレツに働いて高度経済成長期を支えたエコノミックアニマルは当人たちにとってはポジティブな意味合いを持ち、社畜というネガティブな言葉とはベクトルが真逆に思えるかもしれない。   

>だが、自らの権利から目を背けて満員電車ですし詰めにされ、組織のために歯車になる状態を継続させることは、やはり家畜的な「自主性の放棄」という点で選ぶところがない。   

 

そうですね。昔から日本人は責任を嫌っていましたね。      

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)   

 

>SNSでの誹謗中傷は自己家畜化がもたらした弊害   

>「ホンマでっか!?TV」出演の生物学者による痛快批評!!   

>家畜化の先に待つ阿鼻叫喚の未来   

>一部のオオカミが、進んで人間とともに暮らすことで食性や形質、性格を変化させ、温和で従順なイヌへと進化してきた過程を自己家畜化という。   

>そして、この自己家畜化という進化の道を、動物だけでなく人間も歩んでいる。    

>本書は自己家畜化をキーワードに、現代日本で進む危機的な状況に警鐘を鳴らす。   

>生物学や人類学、心理学の知見を駆使して社会を見ることで、世界でも例を見ない速度で凋落する日本人の精神状態が明らかになる。   

>南海トラフ大地震といった自然災害の脅威が迫り、生成AI、ゲノム編集技術といった新しいテクノロジーが急速に普及する今、日本人に待ち受ける未来とは――。   

(略)   

 

 

 

 

 

 

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閲覧数52 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/10/08 16:58
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