2023年10月20日(金) 

 

>AERA dot. 【議論しても意見を変えないことが「ぶれない」と評価される日本】 東浩紀が提唱する「訂正する力」 >東浩紀の意見・16時間      

 

> 分断が深まる現代日本において、生きる術を哲学者・東浩紀氏は「訂正する力」と捉える。   

>この名を冠した新刊『訂正する力』(朝日新書)から一部抜粋、再編集し、なぜこの力が今必要とされているのかを考える。   

>*  *  *   

> 日本にいま必要なのは「訂正する力」です。   

> 日本は魅力的な国です。   

>けれどもさまざまな分野で行き詰まっています。   

>政治は変わらず、経済は沈んだままです。   

> メディアは大胆な改革が必要だと叫びます。   

>けれども実際にはなにも進みません。   

>人々は不満を募らせています。   

 

そうですね。求めよさらば与えられん。だが日本人には意思が無い。   

 

> もう日本はだめなのでしょうか。   

>ぼくはそうは思いません。   

>ただ、そこで必要になるのは、トップダウンによる派手な改革ではなく、ひとりひとりがそれぞれの現場で現状を少しずつ変えていくような地道な努力だと思います。  

 

そうですね。日本人には意思が無い。だから指示待ち人間になっている。’上からの賃上げ’ を期待している。自主性がない。   

 

> そのような地道な努力にもやはり哲学が必要です。   

 

日本人には現実 (事実) の内容ばかりがある。  

印欧語族には現実と非現実 (考え・哲学) の内容がある。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

>小さな変革を後押しするためには、いままでの蓄積を安易に否定するのではなく、むしろ過去を「再解釈」し、現在に生き返らせるような柔軟な思想が必要です。   

 

日本人には形式 (事実) があって内容 (考え・哲学) が無い。だから形式を墨守するしか手がない。考えを中心に置かないと効果的な変革はできませんね。      

 

> ものごとをまえに進めるために、現在と過去をつなぎなおす力。   

>それが「訂正する力」です。   

> このような主張に物足りなさを感じるひともいるかもしれません。   

>日本はリセット願望が強い国です。   

 

そうですね。日本人には目指す世界が想定できていませんね。それは日本人に世界観 (過去・現在・未来、前世・現世・来世) が無いからです。       

 

>明治維新と敗戦の二度にわたって国のかたちを大きく変え、急激な成長を成し遂げたという成功体験をもっています。   

> だからいまでも多くのひとが、長い停滞を突破するためには、ゼロからの再出発がいいと考えています。   

 

それは無哲学・能天気の人の発想法ですね。  

 

>東日本大震災のあとには、これで日本社会はがらりと変わる、「災後」という新時代に入ると言われました。   

 

そうですね。日本人は事の次第とその成り行きを待っています。自主性が見られない。     

 

>最近でも社会学者の宮台真司さんが「加速主義」なる言葉を紹介し、人気を博しています。   

>「日本はいったんとことんだめになって、そこから再生すべきだ」という主張が、一部の若者に人気のようです。   

 

そうですね。日本人は指示待ち人間ばかりですからね。未来社会の構想がない。      

 

> けれども、それは単純な考えだと思います。   

>そもそも国の成長は永遠に続くものではありません。   

>あるていど豊かになったあとは、豊かさの「維持」を考えなければならない。   

>そしてなにかを維持するとは、古くなっていくものを肯定的に語ることにほかなりません。   

>それが成熟した国のありかたです。   

> これは個人の話に置き換えれば、老いを肯定するということでもあります。   

>リセットしたいというのは、要はもういちど若くなりたいということです。   

>この国の人々は年を重ねることについて肯定的に語る言葉をもっていません。   

>だから老いについて単純で暴力的な語り口が横行しています。   

>「延命治療をやめるべき」だとか「老人は集団自決するべき」だといった議論が、定期的に現れます。   

> 世界的に人気があるサブカルチャーの分野でも、主人公は若者ばかりです。    

>さまざまな挫折や失敗を経験し、もがき苦しみながら生きていこうとする中高年が描かれることはあまりありません。   

> しかしながら人間はだれもが老います。   

>老いは避けられないのですから、否定しても意味がありません。   

>肯定的に語るすべをもたなければなりません。   

> では、老いるとはなんでしょうか。   

>それは、若いころの過ちを「訂正」し続けるということです。   

>30歳、40歳になったら20歳のころと考えが違うのは当然だし、50歳、60歳になってもまた変わってくる。   

>同じ自分を維持しながら、昔の過ちを少しずつ正していく。   

>それが老いるということです。   

>老いるとは変化することであり、訂正することなのです。   

> 日本には、まさにこの変化=訂正を嫌う文化があります。    

>政治家は謝りません。   

>官僚もまちがいを認めません。   

>いちど決めた計画は変更しません。   

>誤る(あやまる)と謝る(あやまる)はもともと同じ言葉です。   

>いまの日本人は、誤りを認めないので謝ることもしないわけです。   

 

そうですね。日本人は死んでも謝らない。勝負の世界に生きていますね。    

 

> とくにネットではこの傾向が顕著です。   

>かつての自分の意見とわずかでも異なる意見を述べると、「以前の発言と矛盾する」と指摘され、集中砲火を浴びて炎上する。   

>そういう事件が日常的に起きています。   

 

そうですね。我が国は勝負の国ですからね。    

 

> 2020年代に入り、2ちゃんねる創設者のひろゆきさんを中心にした「論破ブーム」が巻き起こり、その傾向がますます強くなりました。   

>論破するには相手の発言の矛盾を突けばいい。   

>過去と意見が変わっていれば、それだけで負け。   

 

そうですね。議論が各人の世界観比べに到達しない。   

 

>そういう判断基準が若年世代を中心に広く受け入れられています。   

>このような状況では、謝るどころか、議論を通じて意見を変えることすらできません。   

 

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)   

 

> 政治的な議論も成立しません。

 

我が国は勝負の世界ですからね。武士は敵と味方に分かれますね。   

 

>政治とはそもそも絶対の正義を振りかざす論破のゲームではありません。   

>あるべき政治は、右派と左派、保守派とリベラル派がたがいの立場を尊重し、議論を交わすことでおたがいの意見を少しずつ変えていく対話のプロセスのはずです。   

>しかし、現状ではそんなことはできない。   

> とくに最近の左派の一部は頑なです。   

>彼らはどんな説明を聞かされても意見を変えません。   

>むしろその頑なさが「ぶれない」として評価されている。   

 

そうですね。変節漢は信用されませんね。    

 

>そのため政府側も彼らをクレーマーとして扱い、真剣な議論を行わない。   

>政権側も反政権側もおたがいが「相手は変わらない」と思い込んでいるため、議論が始まらないわけです。   

>あるのはいつも同じ「反対してるぞ」アピールだけです。   

> 議論が始まるためには、おたがいが変わる用意がなければなりません。    

>ところがいまの日本では、その前提が壊れています。   

>みな「議論しましょう」とは言うものの、自分自身が変わるつもりはなく、むしろ変わってはいけないと思っているのです。   

 

日本人には世界観が無いから到達目標に拘る議論が見られませんね。   

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)  

 

> そのような状況を根底から変える必要があります。   

>そのための第一歩として必要なのが、まちがいを認めて改めるという「訂正する力」を取り戻すことです。   

>●東浩紀(あずま・ひろき)

>1971年生まれ。   

>批評家。   

>東京大学大学院博士課程修了。   

>株式会社ゲンロン創業者。   

>『存在論的、郵便的』(98年)でサントリー学芸賞、『クォンタム・ファミリーズ』(2009年)で三島由紀夫賞、『弱いつながり』(14年)で紀伊國屋じんぶん大賞、『観光客の哲学』(17年)で毎日出版文化賞を受賞。   

>ほか主な著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2.0』『ゆるく考える』『ゲンロン戦記』『訂正可能性の哲学』などがある。   

 

 

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閲覧数68 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/10/20 06:24
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