2024年08月16日(金) 

 

>読売新聞   >火薬を背負い戦車の下で自爆…本土決戦に備え行われていた訓練、参加者「『死』が軽くなっていた」   >読売新聞によるストーリー・   >1日・   

> 爆弾を背負って戦車の下に潜り、自爆する――。   

>終戦間近、千葉県沿岸では本土での決戦に備え、捨て身の作戦に向けた訓練が行われていた。   

>徴兵され、訓練に参加した甲府市の三木寛さん(98)は「お国のためという気持ちが強く、『死』が軽くなっていた」と死と隣り合わせの悲痛な日々を振り返った。   

>(瀬田糸織)   

> 三木さんは山梨県大月市で生まれ育った。   

>旧制都留中学校(現都留高)に通っていた16歳の頃、太平洋戦争が始まった。   

>予科練(海軍飛行予科練習生)に志願した同級生もいたが、一人も帰ってこなかった。   

> 中学卒業後、教員が不足していた島田国民学校(現上野原市立島田小)で教えたが、1945年3月、20歳頃、満州(現中国東北部)への派遣要員として徴兵された。   

> 「気持ちは有頂天。   

>お国のために尽くすんだと、高揚感にあふれていた」(三木さん)。   

>兵服に身を包み、教え子たちが寄せ書きしてくれた日章旗を肩にかけ、声援の中、列車に乗り込んだ。   

> 陸軍に入隊すると、初年兵として約半年、金沢市で銃の撃ち方など基礎からたたき込まれた。   

>銃を持ってほふく前進したり、銃剣で敵の胸を突く練習をしたりした。   

> 「命永らえた一つの区切りだったかもしれない」。   

>同年7月頃、突然行き先が変わった。   

>何も告げられず汽車に乗り、たどり着いた先は千葉県銚子市。   

>米軍の上陸を想定し、本土防衛に尽力する部隊だった。   

>行われたのは、火薬の入ったかばんを背負い戦車に突っ込む訓練。   

>「特攻隊と同じだった」   

 

我が国は自爆攻撃が得意でしたね。  

 

> 食料や兵器は少なく、訓練中に米軍機の機銃掃射を受け、命からがら防空 壕(ごう) に逃げることもあった。   

>戦況が悪くなっているのは肌で感じていた。    

 

わが国には制空権も制海権も無い状態でしたからね。   

 

> 8月15日、訓練のさなかに玉音放送を聞いた。   

>悲痛な表情を浮かべる者、泣き出す者、様々だったが、三木さんは「あぁ終わったかと、 安堵(あんど) の気持ちが大きかった」と打ち明ける。   

 

好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦 (いくさ) でも 原爆投下にゃ勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日。 

残念ながらわが国の原爆開発はアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕は避けることができた。めでたし めでたし。    

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人の命はどのように考えられていたのか。 ‘命 (ヌチ) どぅ宝’(何をおいても命こそが大切である。)ではなかったのか。  

‘封建国家で最も安価な資源は人命だが、我々にとっては、最もかけがえのないのは国民だ’(ウクライナ軍のワレリー・ザルジニー総司令官)   

 

>亡くなった友人たちの 冥福(めいふく) をただただ祈った。   

> 戦後、三木さんは県庁に勤め、退職後は趣味のソフトテニスに打ち込むなど充実した日々を送っている。   

>時折ニュースで目にするウクライナの戦争や中東の紛争に心が痛む。   

 

そうですね。政治家は人命を犠牲にする政治をやめようとしませんね。   

 

>「実戦の経験はないが、親しい人が奪われる戦争は一番不幸なことだと分かる。   

>得るものは何もない」。   

 

ウクライナはソ連崩壊により核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに侵攻し核兵器使用をちらつかせて恫喝した。

これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消滅した。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すものと1967年 (S42) 12月に佐藤栄作首相は説明した。日本人のお花畑はもうない。

「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領) 

‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’  (マシュー・ポッティンジャー) 

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相)       

戦って敵に勝つことが善であるならば、戦わずして勝つことは善の善である。わが国は平和国家であるから、善の善を目指さなくてはならない。我が自衛隊はその目的にたいする備えを怠るべきでない。 

'為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)   

 

>戦後79年、世界に平和が訪れることを願い続けている。   

 

他力本願・神頼みでは世界に平和は訪れませんね。       

意思の無い人間には責任もない。責任とは自己の意思を使って与えられた義務を果たす事である。日本人には意思が無い。だから、責任もない。兎角この世は無責任になっている。   

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)  

自由とは ‘意思の自由’ の事である。日本人には意思が無い。だから自由そのものにも意味がない。

だが、日本人には恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。恣意の自由は何処の国でも認められていない。恣意の自由は‘自由のはき違え’となるからである。だから、’不自由を常と思えば不足なし’ となる。そして、日本人は昔の姿のままでいる。  

 

 

 

 

 

 


閲覧数23 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2024/08/16 17:30
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