2024年10月20日(日) 

 

>現代ビジネス   >橋下徹「何でもかんでも自民党の逆張りでいいと思い込むな」…「内輪もめ」で「自滅」を繰り返す立憲民主党に橋下徹が「忠告」   >橋下徹 (元大阪府知事・元大阪市長) によるストーリー・   >1時間・   

>10月27日の総選挙で、日本人は自民党に「ある程度のお仕置き」をするだろうが、政権交代には至らないだろう。   

 

そうでしょうね。野党が脆弱ですからね。     

 

>なぜ、政治とカネであれほどの不信を生んだ自民党が、政権の座から転がり落ちることがないのか。   

>その理由を、もっともリアルに、もっともロジカルに、もっともドラスティックに解説するのが、維新の創始者・橋下徹氏だ。   

 

哲学を学べばロジカルになる。世界観を持てばドラスティックになる。   

 

>選挙が近づくいま、橋下氏の『政権変容論』(講談社刊)を野党と国民が理解して受け入れたら、この国は確実に「良い方向」に変容するだろう。   

>『政権変容論』連載第42回   

>『「それが大きな間違いなんです」…橋下徹が明かす、立憲民主党が政権奪取できない「たった一つの理由」』より続く   

>国民は「新しい国のカタチ」までは求めていない   

>—「政権交代」の一番の目的は「政策チェンジ」より「人のチェンジ」にある。   

 

そうですね。世代交代が必要ですね。   

 

>前政権の不正や腐敗を正すことを、政権交代の至上目的とすべきだということですね。  

 

まえにも政権交代がありましたが、良くなかったですね。     

 

>橋下:民間組織だってそうですよね。   

>社長が替わるたびに「これまでの方針を百八十度変えます」では、社員も顧客もステークホルダーもたまったものではありません。   

>通常は社長が替わっても、業態を一気に変えることなどしない。   

>方向性や業態はこれまで通りで、それでも人が新陳代謝すれば、従来の体制で横行していた悪弊や腐敗が暴かれます。   

>新風が入ることで改革が進むんです。   

 

そうですね。   

 

>そしてそのような緊張感があるからこそ、現経営陣、現政権は不祥事を起こさないように最大限の注意をする。   

>新陳代謝がなければ、人間なんてそんなに強くないので、不正に手を染め続けるでしょう。   

 

野党にも新陳代謝が必要ですね。  

 

>それは歴史が示す通りです。   

>民主党は「定まった方向性」がない   

>このことに野党も、そろそろ気づいたほうがいい。   

>何でもかんでも政府与党と逆張りで違う道を提示しなくてはと、思い込まなくていい。   

 

そうですね。逆張りは愚か者の一つ覚えですね。   

 

>むしろ、そうすることで国民を遠ざけてしまっていることに気づいてほしい。   

 

そうですね。天の邪鬼は良くないですね。しかしそうしないと日本人は議論が出来ないのでしょうね。   

日本人は思考を停止している。だから、無哲学・能天気である。政治家にも政治哲学がない。そして政治家は自己の政治哲学により信用されるということがない。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)  

民、信無くば立たず。(政治というものは 民 (民衆) の信頼無くして成り立つものではない。) [論語・顔淵]    

 

>なんだかんだ言って、自民党が選挙で勝ち続けている一番の理由は、「大筋の政策は、自民党でいい」と多くの人が思っているからです。   

 

そうですね。自民党は大筋をつかんでいますね。      

 

>野党は「今の自民党と違う国の姿を見せる」と言うけれど、正直な話、国民もそこまで劇的な変化は望んでいないんですよ。   

 

お変わりの無いのが何よりなことです。日本人には世界観が無い。現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) が無い。ですから、今の自民党と違う国も姿を見せることはできません。国民は ‘話が現実離れしていて信じられない’ と言うばかりです。      

 

>—そのあたりに、民主党政権が長続きしなかった理由がある。   

 

‘立憲民主党の代表選は賞味期限切れの人材ばかり。いったんトップを退陣した者が復帰するような組織は硬直する。ましてや枝野や野田は民主党政権を潰した『戦犯』だ。そんなに人材がいないのか’ (上野千鶴子氏(76)東大名誉教授 社会学者)  

 

>橋下:そうですね、それも理由の一つだと思います。   

>ただ、民主党政権がわずか3年しか存続しなかった第一の理由は、「内輪もめ」です。   

>09年の民主党政権誕生以来、目指すべき方向性に迷走した挙げ句、意見の異なる人々の造反が続出しました。   

 

無哲学・能天気では、政党は迷走しますね。小人たちには内輪もめしか方法がありませんね。      

 

>政権の座にあった3年間で、民主党を自ら離党した人や除籍された衆参両議員の数は100を超しています。   

>これは異常でしょう。   

 

無哲学・能天気ではそうなるでしょうね。なあなあ主義も役立たなかった。   

日本人は‘なあなあ主義’ で話をする。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。 ‘以心伝心・阿吽の呼吸’といったところか。     

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

日本人は学校で受け売り・後追いの練習ばかりをしている。自己の見解 (非現実) を述べる訓練をしていない。すると、知性の欠けた人間の跋扈する奇妙な社会が出来上がる。     

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)   

 

我が国の日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答を出せる編集者が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だが、自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく:  世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走に迷走を続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、わが国の若者にも夢と希望が無い。

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

>せっかく自民党の総崩れで棚からボタ餅式に政権奪取できたのに、完全に自滅してしまった。   

 

民主党員の ’身から出た錆’ ですね。   

 

>では、なぜ意見が分かれたのか。   

 

人にはいろいろの意見がありますからね。   

 

>その理由の一つが、まさに「これまでの自民党と違う国のカタチを見せる」ことに執着し、その方向性を巡る考えが対立して収拾がつかなくなったからです。   

 

そうですね。何事も違う形が良い形とはかぎりませんね。自民党と違う形に拘るのは、自己に政治哲学がないからでしょうね。      

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるかもしれませんね。       

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)          

 

 

 

 

 

 


閲覧数7 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2024/10/20 16:32
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