>日刊スポーツ >サンモニ識者「日本人の政治文化が少しおかしくなって…」自民政権の商品券配布で国民にも苦言 >日刊スポーツ新聞社によるストーリー・ >11時間・ >政治評論家で多摩大学学長の寺島実郎氏が23日放送のTBS系報道番組「サンデーモーニング」(日曜午前8時)に出演し、石破茂首相が新人議員に10万円の商品券を配布したことで端を発した自民政権の慣例について語った。 >番組では、石破政権以前にも岸田文雄前首相や安倍晋三元首相の政権時に、商品券などが配布されたとする証言が次々と出ていることを報じた。 >寺島氏はこの点について「自民党の政治文化とだけ言えるんだろうかと、自問自答しながら発言していきたいんですけど、野党も国民も含めて、日本人の政治文化が少しおかしくなってきているのではないかと」と切り出した。 >続けて「ふるまう政治、ふるまいを期待する政治、ってなってきていて、思い出してもらいたいのがコロナの時に国民全員に、1億2000万人の人に10万円を配ったわけですよ。 >あれはどうなったのか、本当のところだと、しっかり検証しなきゃいけない。 >補助金とか助成金とか給付金とか、それから103万円の壁だ減税だ、という国民にとって耳触りのいい方向にだけ、政治の議論が向かってしまう」と指摘した。
そうですね。
>寺島氏は「今、政治改革ということを本気でするのなら、我々思い出さなきゃいけないのは、民主党政権の時にほぼやることでコミットしていた、議員定数の削減という方向に向けて…本当に政治改革をやるならですよ。 >1人の議員に対して、間接直接合わせて2億円かけているわけですよ、税金を。 >人口が3割減るという流れの中で、例えば3割ぐらい代議士の数を減らすというのが、本当の政治改革ではないか」と提案。
そうですね。
>「アメリカの大統領制と、議院内閣制は違いますけど、国会で議員をするという立場の数が人口比で3倍多いんですよ、日本は。 >そういう問題に踏み込まずに、企業献金がどうだとか10万円、そのレベルの議論で終始しているところに、日本の政治文化の限界がある、というのが僕の思いですね」と語った。
そうですね。日本人は思考を停止していて、無哲学・能天気であるから、政治哲学もない。だから、政治文化に限界がある。 思考を停止している人と、そうでない人は何処が違うのであろうか。 日本人の生活は、生まれた時には宮参りをして、結婚式はキリスト教会で行う。葬儀は葬式仏式で済ませばよい。これで万事が万々歳である。 日本の文化には形式 (儀式) があって、内容 (教義) が無い。日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。頭の中の内容を考えなければ、矛盾ということも何もない。 日本人は内容が無いだけ、それだけ余計に形式 (現実) に拘るので改革運動の妨げになることが多い。日本人は守旧派の人達であることを忘れないようにしよう。
>司会の膳場貴子も「立ち返って議論していくことも必要ですね」と応じた。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々の考えの内容は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。 「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)
日本人は氏名を正しく (?) 読むことができない。だから役所の書類にはフリガナ欄が設けてある。これをローマ字欄に換えるだけでも国語の改革になる。これは国の指導ですぐにでもできる国語改革である。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり' 上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)
|