学歴詐称 |
>文春オンライン >池上さん、政治家の「学歴詐称」問題はなぜ起きるのでしょうか? >池上彰によるストーリー・ >7時間・ >Q 政治家の学歴詐称ってよくあること? >「東洋大学卒業」としていたが実際は除籍されており卒業していなかった……という静岡県伊東市の田久保真紀市長の学歴詐称問題が物議をかもしました。 >実生活では、学歴詐称する人なんてそうそういないだろ! と思うのですが、政界だとよくあることなのでしょうか?(50代・女性・自営業) >A 日本の「学歴信仰」が影響しています >ここには長年の日本の「学歴信仰」が影響しています。
そうですね。昔は ‘身分信仰’ でしたね。序列社会には信仰が大切ですね。
>選挙となれば選挙公報に候補者の学歴が掲載されます。 >ここで高校卒という学歴では見劣りするという意識があったのです。
そうですね。高校卒を嫌がる人は確かにいますね。人々の人物評価は ‘上と見るか、下と見るか’ ですからね。 日本人は子供の学習成果に関心がある。アメリカ人は大人の学習成果に関心がある。どちらがより賢い人間であるといえるか。 子供の勉強は現実の内容 (事実) を覚えること。大人の勉強は非現実の内容 (考え・哲学) を自分自らが獲得すること。 日本の大学は、入るのが難しくて卒業が容易である。大学は、子供の学力を比較して入学者を選抜する。しかし大学における大人の学習効果には世間も大学当局も気にかけない。わが国には高等教育の成果に期待するものは誰もいない。 アメリカの大学は、入るのは易しいが卒業が難しい。大学は学内の大人の学習成果を見て、学生の卒業の合否を判定する。自己の見解を論文にして公表すれば大学による独創の認定により学位 (学士・修士・博士) が得られる。 社会は大人の勉強成果に関心を集中させている。高等教育の成果に社会の発展が依存している。 日本人は、没個性の序列主義社会の中でのナンバー・ワンを目指すのではない。考えの内容は個人個人で違っているのであるから、個人主義社会のオンリー・ワンを目指すべきである。さすれば過当競争をすることなく自己実現が可能になります。
>そこで、少しでも見栄えのいい経歴にしようと学歴詐称の動きは以前からありました。 > 最近でも海外の大学に短期留学しただけで、まるでその大学を卒業したかのような記載をする人もいました。
そうですね。アメリカの大学は、入学は容易だが卒業は難しいと聞いていますね。わが国では大学名が大切ですね。
>あるいは、アメリカには学費さえ払えば簡単に卒業証書を出してくれる大学もあり、そうした大学に金を払い込んだだけで、在学経験がないまま卒業証書を得ていた人たちがいて(政治家に限らなかった)、問題になりました。
そうですか。我が国にはそういう大学はないのですか。そういう大学があれば学歴詐称は問題になりませんね。
> 政治家だったら、どこの大学を出たかではなく、どんな政治をするのかをアピールすればいいのですかね。
そうですね。政治家はどんな政治をするかが問題ですね。
>(池上 彰)
日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが日本社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。人間としての順位の比較は没個性的でなくてはならない。受験戦争は他人の受け売りを使った戦になっている。だから、我が国の序列競争の激しさは個性の育成の足かせになり、自己実現の妨げになっている。
日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅苦しい日常生活を送っている。ため口を禁じられているので、相手と対等な立場でものをいう事ができない。人間が真に平等であるという実感を体験したことがない。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。
日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。
日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる個人的な義務) を果たすことに懸命になる。そして、かたい契りの義兄弟になる者もいる。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。個性に焦点を絞ることのない人間比較の叙勲は、国体 (序列国家) に関する国民の意識を高めている。
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