2025年10月30日(木) 

 

>NEWSポストセブン   >「伝統を前面に打ち出す相撲協会」と「ガチンコ競技化の白鵬」大相撲ロンドン公演で浮き彫りになった両者の隔たり “格闘技”なのか“儀式”なのか…問われる相撲のあり方   >NEWSポストセブンによるストーリー・   >17時間・   

> 大盛況のうちに幕を閉じた大相撲ロンドン公演。   

>相撲協会は今後も相撲文化を世界に発信すると意気込む。    

>「相撲を世界に」とは、6月に協会を去った元横綱・白鵬翔氏もまさに口にする言葉だが、今回の海外公演により、両者の考えの隔たりも浮き彫りになった。   

>本場所のような迫力に欠けた取組   

> 普段は演劇やコンサートが開かれる英国・ロンドンの劇場「ロイヤル・アルバート・ホール」で5日間にわたり、土俵が設置され、現地のファンは力士に拍手喝采――34年ぶりとなるロンドン公演は約2万7000人を動員して大盛況となった。   

>半世紀以上にわたり大相撲中継を担当した元NHKアナウンサーで相撲ジャーナリストの杉山邦博氏が言う。    

>「大相撲の海外公演は相手国から正式な招待を受けて相撲協会が主催し、国際文化交流の一環として行なわれるもので、公的な意味合いが強い。   

>勧進元が主催することで私的な興行となる国内または海外の"巡業"とは区別されています」    

> 海外公演には相撲を通じた文化交流や友好親善の目的があり、力士は"裸の大使"と呼ばれる。   

>「ホール内には『満員御礼』の垂れ幕が下がり、会場周辺には幟が並んだ。   

>本場所の雰囲気を十分に伝えることができたのでは。   

>取組は公共放送BBCで生中継されました」    

> 協会関係者はそう満足げに語った。    

>だが、現地での力士たちの取組内容は、普段の本場所を見る人からすれば迫力に欠けるものだったと言わざるを得ない。    

>「勝ち負けにこだわらない巡業のようなもので、怪我をしないよう全員が手を抜く。   

>本場所では当たり前の張り手や、喉元への突っ張りもない。    

>投げ技はよく見えるように土俵の真ん中でやり、投げられるほうも自分から転ぶので鮮やかに技が決まる。   

>本場所のガチンコ相撲のように両者が技をかけて土俵下にもつれながら落ちるような取組はありません」(元力士)    

> 千秋楽結びの一番は東西の横綱である大の里と豊昇龍が全勝で相星決戦。    

>互いに土俵際へ追い詰め合ったあとに、先輩横綱である豊昇龍が送り出しで優勝を決めた。    

>「現地では単なる肉体の戦いではなく"神道の信仰と結びついたもの"として理解された。    

>公演前に安全を祈る恒例の『土俵祭』も行なわれるなど、土俵は"神聖な儀式の場"として捉えられていました」(担当記者)    

> 来年6月にはパリ公演が予定され、相撲協会は今後も「儀式・伝統文化としての相撲」の世界への発信に注力する方針だ。    

> そうした相撲協会の路線と協会を去った白鵬氏の方針は違って見える。     

>いずれはオリンピック競技に…   

> 退職後の白鵬氏が掲げた「世界相撲グランドスラム」構想は、日本だけでなく、モンゴル相撲をはじめ世界各国の競技を統一した"SUMO"の確立を目指している。   

>トヨタ自動車の豊田章男会長が会長を務めるアマチュアの日本相撲連盟・国際相撲連盟と連携し、男女別・体重別の大会を構想しているとされる。   

>白鵬氏自身、国際相撲連盟の顧問に就任した。    

>「白鵬はアマチュアの力士を育てて相撲の裾野を広げ、いずれは柔道のようにオリンピック競技にしたいと考えている。   

>国際競技としての普及を目指す白鵬が、国際相撲連盟と連携していくのは間違いないでしょう。    

> 白鵬は相撲をプロボクシングやK-1のような格闘技として考えており、世界からファイターを集めて世界中に配信し、大きな収益を生む大会にする方向性とされます。   

>そのためには相撲が、どこまでもガチンコ前提の格闘技でなければならないのです」(同前)    

> ガチンコの本場所の盛り上がりを踏まえた白鵬氏の構想と相反するかたちで、相撲協会は「伝統」を前面に打ち出した巡業風の相撲で世界進出を図っているわけだ。    

 

そうですね。   

 

>「白鵬は昨年2月に発覚した弟子の暴力事案で責任を問われて部屋が閉鎖に追い込まれ、いつまでも再興が許されないことから退職に至った。    

>閉鎖的で世界戦略もない協会が、自らの構想を恐れて海外にアピールを始めたとしか映らないのでは。   

 

どうも、そのようですね。   

 

> 相撲に携わり続ける以上、表立っての協会批判は封印していますが、内心で呆れていることでしょう。   

>日本モンゴル友好記念事業の舞台『モンゴル・ハーン』の日本公演初日にアンバサダーとして登壇した際も、大相撲のロンドン公演について一言も触れなかった」(同前)    

> 白鵬氏が新たに立ち上げた会社にロンドン公演の受け止めなどを問うと「大変な盛り上がりを見せたことは素晴らしいことですし、日本相撲協会の関係者のみなさまのご努力に敬意を表します。    

>我々も微力ですが、世界相撲グランドスラム構想を通じて、相撲を世界に広め、相撲を通じて世界に希望を与えることができるよう努力してまいる所存です」と回答した。    

> 相撲は格闘技なのか、儀式なのか。その相克は、横綱時代の白鵬氏が巻き起こした論争と相似形を為していると言えよう。    

> 特に横綱としてのキャリアの終盤には、立ち合いでの張り手やエルボーのようなカチ上げを連発し、相手を倒したらガッツポーズ。    

>まさに相撲を格闘技と捉える"勝てばいい"の姿勢だった。   

>軍配が相手方に上がった一番が不服だった際は、力士に権利のない"物言い"をつける仕草も見せたが、相撲では御法度でも他のスポーツでは間々目にする光景だ。    

>そうした姿勢が、協会から「横綱としての品格」を欠いていると咎められてきた。   

>優勝回数などが歴代1位でも、著しい貢献があった横綱に与えられる一代年寄を認めなかった。    

> 世界から相撲がどう見られるべきかをめぐり、協会と白鵬氏の緊張関係は新たなステージに突入している。    

 

相撲協会は現実肯定主義ですからね。議論にならない。改革論には不向きですね。仕来りの岩盤支持層をなしている。       

 

>※週刊ポスト2025年11月7・14日号   

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数34 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2025/10/30 05:44
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