藤田早苗氏 |
>東京新聞 >「人権と思いやりは別」藤田早苗さん、越谷で講演「国際基準を知らないと自分を守れない」 >5時間・ > 英エセックス大学人権センターのフェローで国際人権法が専門の藤田早苗さんが22日、埼玉県越谷市内で講演した。 >「人権と思いやりは別物!」と題し、人権の本来の意味や擁護の必要性への理解が深まらない日本社会の課題を指摘し、人権に関する国際的な基準を学び、現状を問い直すことを提言した。 > 藤田さんは2022年に出版した「武器としての国際人権」(集英社新書)や講演などで日本社会の人権状況についての発言を続けている。 > 藤田さんは、人権は「人間らしく生きる」ために誰もが行使し、国がその実現を義務付けられている権利だと説明。 >しかし、日本では本来の意味から離れて「親切」「思いやり」といった精神が強調され、人権の概念が十分に根付いていないと問題提起した。
そうですね。日本人は無哲学・能天気ですからね。
> 国は不当な制限の禁止など人権実現の義務を負い、人権に関する国際条約が義務を具体的に規定していると解説。 >「私たちも国際的な基準を知らなければ。 >権利を知らなければ自分を守れない」と説いた。 > ジェンダー平等の遅れなど人権状況で諸外国との差が浮き彫りになる一方、国内の状況に対する国際機関からの勧告に国が「法的拘束力がないので従う義務はない」と後ろ向きの姿勢を示していると指摘。
そうですね。天皇は男系男子ですね。
>「勧告は国際的な基準に基づいた判断。 >無視してはいけない」と批判した上で、国際的な基準を基に国を批判する姿勢が日本のメディアに欠けているとも強調した。
そうですね。
> 人権侵害を受け、国内の裁判所の終審判決に不服な個人が人権条約機関に救済を求めることができる「個人通報制度」に加わることや政府から独立した公的な「国内人権機関」を設置することも日本の課題として挙げた。 >「日本の価値観だけで見ていれば(国際社会から)取り残される」と危機感を示し、「(現状を変える動きの)波紋を広げてほしい」と説いた。
日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。だから、日本人は現実肯定主義者になっている。 現実はただ一通りあって、議論がない。だから日本人は岩盤保守層をなして、改革派に抵抗勢力を示している。
> 講演会は有志でつくる実行委員会が企画。 >県内外から集まった45人が聴講した。 >(大久保謙司)
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は他人の受け売りばかりを練習してきた。自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 頭を使うということは暗記力を示すことではなく自己の見解を明らかにすることである。高等教育機関に在籍して自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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