2025年11月23日(日) 

 

>読売新聞   >人里に近いエリアで生息のクマが増えている可能性…クマ出没最多、新潟では河川敷のやぶをつぶす対策も   >読売新聞によるストーリー・   >7時間・   

> クマの出没件数が今年度、新潟県内で過去最多を更新し続けている。    

>13日時点で2838件に達し、これまで最多だった2020年度の年間1957件を既に881件上回っている。    

> 県によると、クマの目撃や足跡などの痕跡を含めた出没件数は5月以降、各月とも過去最多を更新。   

>特に秋になって急増し、9月は434件、10月は1099件、11月は13日時点で490件に上る。    

> 今年度はクマの餌となるブナの実が全県で過去最悪レベルの凶作となっており、餌を求めるクマが人里に出没している。   

 

ブナの実の凶作は前もって予測できないものですかね。それが分かればクマの出没を抑える対策も前もって整えられたことでしょうね。人身に被害が及ぶこともなかったでしょうね。      

‘前もって’ が大切ですね。危険が目の前に迫ってからでは、’時すでに遅し’ ですね。これでは人身の被害は避けられない。心ならずもクマを殺処分することになる。クマに関する生態学者の注意深い観察が必要ですね。

専門家による来年のブナの実の予測はどうなっているのですかね。クマによる被害の根絶を期した政府の抜本的なブナ対策が必要ですね。     

 

>一方、ブナに実がなる前の夏場も出没件数が増えているため、人里に近いエリアで生息するクマが増えている可能性もあるという。    

> 人身被害は16件(被害人数17人)発生しており、20年度の年間17件(同21人)に迫る勢いだ。   

 

危険が目の前に及ぶ前の対策が肝心ですね。後の祭りの繰り返しでは立つ瀬がない。   

日本人には意思がない。意思のない人間には責任がない。責任のない人には信頼がない。信無くば立たず。(政治というものは 民 (民衆) の信頼無くして成り立つものではない。) [論語・顔淵]   

 

>市街地で被害に遭うケースも増えており、9月に始まった「緊急銃猟」は、県内ではこれまでに魚沼市や阿賀野市、新発田市、糸魚川市、五泉市、胎内市、南魚沼市で行われた。    

 

日本人は緊急でなければ力が出ない。ナウな感じのする人間である。長期展望も必要ですね。その日暮らしではやりきれない。         

 

> 県は今月末まで、最高レベルの警戒態勢とする「クマ出没特別警報」を出している。   

>担当者は「クマが冬眠する12月まで、いつどこでクマに会ってもおかしくない状況だ」と注意を呼びかけている。    

 

来年の人身被害の関する予測はどうなっているのですかね。   

 

>通り道・隠れ家を抑制   

> 市街地でのクマの出没を防ぐため、県はクマの通り道や隠れ家となる河川敷のやぶを重機で押しつぶす緊急対策を実施している。   

> 県によると、市町村からの要望があった南魚沼市と湯沢町の魚野川河川敷2か所、長岡市の刈谷田川河川敷1か所で対策を行った。   

>いずれも河川敷近くでクマの出没が相次いでいるという。    

> 南魚沼市泉新田の魚野川河川敷では、11日から作業が始まり、重機1台が次々と繁茂する草木を押しつぶしていった。   

>13日までに河川敷約1・3キロを整備した。    

> 南魚沼市のクマの今年度の出没件数は13日までに495件と、昨年度全体の約5倍に上る。    

> 県南魚沼地域振興局治水課の瀬上顕太課長は対策を通して「クマの早期発見や移動の抑制に役立てたい」と話した。   

 

ブナの実の凶作をどう克服するかが人間に課せられた問題でしょうね。   

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は他人の受け売りばかりを練習してきた。自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

頭を使うということは暗記力を示すことではなく自己の見解を明らかにすることである。高等教育機関に在籍して自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数26 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2025/11/23 05:14
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