ケンカ下手 |
>アサ芸プラス >前駐豪大使・山上信吾が日本外交の舞台裏を抉る!~中国との情報戦・認知戦で失態!外務官僚はなぜこんなにケンカ下手なのか~ >アサ芸プラスの意見・ >4時間・ >日中関係で憂慮していることがある。 >せっかく高市政権になり、菅・岸田・石破政権と続いてきた「媚中」から脱却しなければならず、かつ脱却できるはずなのに、外務省事務方が追い付けていない感じがするからだ。 >いい変化の兆しはある。 >「岸破」外交時代、中国が如何に不埒な所作に出ようが、外務大臣も次官も「遺憾」と力なく繰り返すだけで、駐日中国大使を外務省に呼び出して厳正に抗議することなど、決してやろうとしなかった。
他力本願・神頼みですね。
>日本の排他的経済水域に弾道ミサイルを5発も撃ち込まれた時も、日本各地の水産物を全面禁輸された時も、10歳の日本人児童が白昼、母親の前で惨殺された時も、全てそうだった。 >ところが最近では、呉江浩駐日中国大使は温和な船越健裕外務次官から、二度にわたって呼びつけられた。 >漸く世界標準の外交を行おうという姿勢が垣間見えてきたのだ。 >慎重居士で知られる金杉憲治駐中国大使も、香港テレビ局のインタビューに出演し、日本の立場を説明するようになった。 >新聞はまだしも、テレビ、特に生放送のそれに対しては危険回避本能が強く働いて、逃げ回ってきたのが大方の外務官僚だ。
そうですね。日本人には意思がない。だから、優柔不断、意志薄弱に見える。 どうして日本人に意思がないかと言うと、日本語文法には時制 (tense) というものがないので、未来時制の構文ができない。それで未来の内容が文にならない。意思は未来の内容であるから、文がなければ表現できない。
>しっかりと対外発信をしようという姿勢の表れであるのならば、歓迎すべき進展だ。
そうですね。
>だが、変化はそこまでにとどまっている。
残念なことですね。
>そもそも今回の一連の問題の根源は、薛剣駐大阪総領事の暴言にある。 >高市答弁は至極当然のことを述べたまでで、約10年前の平和安保法制導入の際から何度も説明されてきたことだからだ。 >そうであれば、焦点を高市答弁に絞って論点ずらしを試みている中国側に対し、しっかり反論しなくてはならない。
そうですね。
>ところがその反論が後手に回っており、かつ、誠にひ弱い。
日本人は意思の表現が苦手ですね。
>一発レッドカードの言動をした薛剣をぺルソナ・ノン・グラータとして国外追放しておけば問題の所在は明確になり、また、ここまで尾を引かなかっただろう。
そうですね。
>しかるに、例によって事態の鎮静化を近視眼的に追及するがあまり、「高市答弁の是非」という相手の土俵に引きずり込まれて相撲をとらされているのが実態だ。
そうですね。桑原、桑原ですね。
>金井正彰アジア大洋州局長の訪中など、その最たる象徴だろう。 >不用意なボディーランゲージについての批判は繰り返さないが、国際社会に流布された、首を垂れた力ない姿の画像が情報戦・認知戦で中国側に最大限利用されたことに、議論の余地はない。 >これに輪をかけた失態が、金杉大使インタビューだ。 >中国側に情報戦を仕掛けられているという意識のかけらも持ち併せていないのか、ナイーブなまでに中国との「対話」を求める発言に終始した。
そうですね。意思のない人間はナイーブですね。
>なぜ外務官僚はここまで喧嘩下手で情けないのか。
日本人には意思がない。意思のない人間には責任がない。責任のない人には信頼がない。信無くば立たず。
>全国各地で公演をするたびに、多くの国民から問われてきた。
日本人には ‘やられたらやり返す’ メンタリティーがないですからね。
>結論を言えば、対外発信をする官僚側の「問題意識の希薄さ」と「訓練不足」だろう。
そうですね。 日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。実況放送・現状報告に終始する。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。リーズン (理性・理由・適当) の価値は教養により高められる。我々日本人は他人の受け売りを学ぶばかりで、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひ獲得すべき知性の保証です。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
>前者については、個々の当事者の歴史観、国家観、外交センスにもかかわる話だが、いかなる時も「足して二で割る」外交を追求し、事なかれ主義に終始してきたのでは、情報戦に臨む戦闘能力を培うことなど土台、無理だ。
そうですね。
>本件対応をめぐっては、あれだけグラス駐日米国大使が活発に日本擁護の発信をしてくれているのに対し、肝心の日本の駐米大使には全く存在感がない。
日本の駐米大使は安心したのでしょうね。
>一体、この対比は何なのか。
日本人は無哲学・能天気ですからね。
>後者の訓練不足については、近年の外務省幹部が大使もやらないままに局長、次官といった本省の高位に登用されてきた人事のマイナスは覆いようがない。 >外務官僚として政治家の黒子に終始するだけでなく、在外公館で日の丸を背負い、一挙手一投足が任国の注目を浴びる大使ポストを経験して場数を踏んでさえいれば、はるかにまともなパフォーマンスができたことは間違いない。
そうですね。
>国民の圧倒的な支持を得ている高市政権。 >精強な外交を展開する格好の機会だ。 >それだけに、日本外交の先兵たる職業外交官には、水を得た魚のように自由闊達に泳いでほしいものである。
そうですね。
>●プロフィール >やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。 >1961年、東京都生まれ。 >東京大学法学部卒業後、84年に外務省入省。 >コロンビア大学大学院留学を経て、ワシントン、香港、ジュネーブで在勤。 >北米二課長、条約課長の後、2007年に茨城県警本部警務部長を経て、09年に在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年に国際情報統括官、経済局長を歴任。 >20年に駐豪大使に就任し、23年末に退官。 >同志社大学特別客員教授等を務めつつ、外交評論家として活動中。 >著書に「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)、「国家衰退を招いた日本外交の闇」(徳間書店)、「媚中 その驚愕の『真実』」(ワック)、「官民軍インテリジェンス」(ワニブックス)、「拝米という病」(ワック)などがある。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において自分の理想に相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
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