北東アジアの不安定要因は、人々のつたない考え方に起因していることが多い。現在の内容は事実・現実である。過去と未来の内容は想像・推測の産物である。だから、それらは非現実である。現実の内容は個人による違いがない。だが、非現実の内容は人・人によって違っている。それをあたかも現実の内容のように話し、聞き手もまたそのように受け取っている。過去と未来の内容に辻褄を合わせるためには、それぞれの文章が必要である。インド人ならば、前世・現世・来世となる。現在・過去・未来の文章に分けるためには、時制が必要である。
>ケリー氏は「日韓が過去にとらわれず前に進むことが米国の国益にもかなう」と結束を訴えた。意思があれば罪もある。意思がなければ罪もない。意思は未来時制の文章内容で、特亜 (日本・韓国・中国) の言語には、時制がない。だから、特亜の人には意思がなく、罪がない。贖罪のための宗教はない。免罪符を求める人もない。言語に由来する困難は不可抗力のようにもみえる。加害者意識 (罪の意識) はなくても、被害者意識はある。国内には怨恨が鬱積している。政治指導者は保身のために、自国にたまった怨恨を国外に向けようとしている。加害者意
意識改革・意識革命を望む者は、まず言語の特徴に着目しなくてはならない。意思は未来時制の文章内容である。日本語には時制がない。日本人には意思がない。日本語・韓国語・中国語には、時制がない。だから、どの民族も似たような傾向を示す。政治哲学がない。目指すべき次の世界の内容が念頭にない。結果的に政治音痴になっている。意思があれば、能動的になれる。意思のあるところに方法がある。(Where there’s a will, there’s a way).政治を通して新しい時代を切り開くことが出来る。未来社会に向かって建設的な態度がとれる。