意識改革・意識革命を望む者は、まず言語の特徴に着目しなくてはならない。
意思は未来時制の文章内容である。
日本語には時制がない。
日本人には意思がない。
日本語・韓国語・中国語には、時制がない。
だから、どの民族も似たような傾向を示す。
政治哲学がない。目指すべき次の世界の内容が念頭にない。結果的に政治音痴になっている。
意思があれば、能動的になれる。意思のあるところに方法がある。(Where there’s a will, there’s a way).
政治を通して新しい時代を切り開くことが出来る。未来社会に向かって建設的な態度がとれる。
能動的でなければ、人は罪の意識を生じさせられない。
罪の意識の無い人は、子供の様なもので、周囲の人から危険視される。信頼もない。
意思のない所には、解決方法はない。それで、無為無策でいる。
棚から牡丹餅の落ちてくるのを待っている。自分に必要なものは、自分自身で手に入れるという大人の態度が見られない。
敗戦後の民主主義は、上からの命令による上からの革命により成し遂げられた。
上下観念の浸透していない社会では成功しない奇妙な革命であった。
牡丹餅が落ちてこなければ、怨恨・恨み節。うらめしや~。相手を恨む。
意思がなければ、受動的になる。もっぱら受け身では、被害者意識しか生じない。閉塞感がある。筋道立った打開策がない。
昔から行われてきたのは気分転換の方策であった。改元・世直し・御一新など。’新しい’ というのは、こういう気分転換のことであった。
戦前の軍国主義の人々も被害者意識をかきたてていた。戦後の平和主義者も被害者意識をかきたてた。実に被害者しかこの国からは出てこない。
日本人以外の犠牲者は、まったく我々の目に入らない。
特亜三国人の口からは、とりわけ自己の罪・加害者意識の内容は出てこない。意思のない所に罪はない。
英語には時制がある。英語を学べば特殊アジア三国人も自分の意思を表すことが可能になる。
未来社会 (行き着く先) の内容をお互いに提案しあうことも可能になる。
英語のすすめは、学問のすすめになる。 ‘あるべき姿’ が何であるかを語り合うことが出来る。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
> クリスチャン・サイエンス・モニターのコラムは、日本と韓国それぞれの国民意識に、根本原因があると見ている。 韓国は「過去60年のあいだ、目覚ましい近代化と民主化を遂げたにもかかわらず、日本に植民地支配された40年間が、自国のことを思うにあたっての中心的問題であり続けている」と指摘する。 日本については、第2次世界大戦で負けたことと、原子爆弾を投下されたことから、「自分たちは戦争の被害者だという固定観念を持っている」と言う。戦時中の非道な行為については戦後、清算したのに、それが正当に評価されていないと思っている。自分たち自身、侵略者だったという意識を持つことは、日本人には難しい、と述べている。
> このように、お互いに対立する国民意識を持ち続けているかぎり、政治的な解決策は失敗し続けるだろう、と主張する。これを解決するためには、国民一人一人のレベルでの感情の和解が必要だ。そのために、韓国は、日本が何をどうすれば、真の反省の表現として受け入れるつもりなのかを、はっきりと決めなくてはならないだろう(記事は個人レベルでの補償をほのめかしている)。そして日本には、この要求に十全に応える勇気が必要だろう、と韓国の主張を言い値で受け入れる形での和解を提案している。