中島岳志氏 |
>東京新聞 >戦前を思わせる暴力の連鎖 岸田首相襲撃事件 大事なのは「私たちが変わらないこと」 中島岳志教授 >17 時間前 > 岸田文雄首相の選挙応援演説会場で爆発物が投げ込まれた事件は、安倍晋三元首相銃撃事件から1年たたずに起きた。 >戦前のテロと民主主義の歴史に詳しい東京工業大の中島岳志教授に、事件の影響について聞いた。 >(市川千晴) > 恐れていたシナリオが起きていることを大変危惧している。 >2008年の秋葉原事件など、貧困や格差問題、生きづらさを背景とした無差別殺傷事件が続いたが、最近は標的が具体化し、暴力が政治家や有力者に向かっていく時代に突入した。
そうですね。犯人は政治家・有力者をどうにかして、社会問題を解決しようとしているようですね。
>連鎖すると非常に危ない状況が生まれていく。 >連鎖を止めることが非常に重要だ。
そうですね。対症療法でなくて原因療法が必要ですね。そうでなければ、この日本病は慢性化するでしょうね。 日本人には世界観が無い。だから、政治哲学も無い。打ち壊しはただの打ち壊しに終わる。ああ、それがむなしい。
> 戦前も同じようなことが起きている。
何回やっても同じですね。目標となる当てがない。
>1921年、格差問題に苦しんだ青年が財閥トップを暗殺した。 >青年は非難されたが、財閥の遺産相続が話題になると、批判の矛先は財閥になり、青年は英雄視された。 >1カ月後、別の青年による原敬首相暗殺事件が起き、5・15事件や2・26事件など戦前期のテロの連鎖のきっかけになった。
破れかぶれですね。これで溜飲を下げるのか。
> 今回の事件の動機はわからないが、何らかの形で(安倍氏銃撃事件の)模倣があるだろう。
テロの連鎖が起きるのは政治家が社会の変革に無力だからではないでしょうか。庶民には自己の支持すべき意見の政治家が見当たらないのでしょう。ノンポリ・政治音痴の社会の行き止まりになっていますね。 建設的な内容が見当たらない。日本には、ただ夢と希望だけが無い。
>連鎖のスパイラルに入っているかもしれない。 >犯人が英雄視されるのを見て、「俺も」と思ったならば、戦前期と同じまずい方向に進んでいる。
そうですね。騒ぎの後には何も残らないですね。
> テロリストの思惑を無効化するためには、テロが起きても私たちが変わらないことが重要だ。
テロリストはヤケッパチですね。腹いせにやっている。何も建設的なものはない。政治哲学がない。だが、社会問題を放置して良いわけでもない。政治家の建設的な指導が必要ですね。 我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
>事件が選挙結果の変更につながると、テロが有効な手段として機能する社会だとみなされてしまう。
テロは支離滅裂ですね。テロの力が未来社会の建設に向かうことはない。 とはいえ、まともと思われている人が手をこまねいていては何にもならない。
> 治安を維持する権力の増大には注意すべきだ。
力には力で対抗することになりますか。わが国の政治家は自己の政治哲学を示す必要がある。無哲学・能天気であっては、我々は何処にもたどり着くことはできないですね。 ’脳足りん’ の国ですね。
>街頭演説会場では警察官による職務質問や手荷物検査が強化されている。 >こうした状況を加速させてしまう可能性の方が怖い。
そうですね。政治家が適切な出口を示すことの無い社会は警察国家になるのでしょうね。監視カメラの社会ですか。言論の不自由な社会に逆戻りか。 統制があろうがなかろうが、日本人は昔から言論に不自由していますね。それは日本人が自己の世界観を持っていないからでしょう。我々には行き着く世界が想定されていない。だから、議論の対象にもならない。
>街頭演説でやじを飛ばした市民が逮捕されたり、監視対象になったりすることが容認される社会が生まれることは怖い。 >治安維持権力の拡大により失われるものがないか、私たちは問い返す必要がある。
出口を示すことの無い政治家たちばかりでは小競り合いばかりが激しくなりますね。私たちは礼儀正しい日本人ではいられない。 自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。日本人には意思がない。だから常に傍観者にとどまっていて孤高の人になっている。 求めよ、さらば与えられん。何事も、自ら積極的に求める態度が必要ですね。政治家よ、民衆の先頭に立ってもらいたい。我々は無哲学・能天気ではいられない。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり' 上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)
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