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2008年08月23日(土) 



私の祖母は明治10年の生まれであったから、江戸時代の生活をした人ではなかった。だが、当時の年寄りから話を聞いていて、封建時代のことをいろいろと話してくれた。家の前の道は往還といって、殿様が通った道であったということである。殿様が通るときは、あらかじめ道に浜砂をまいてきれいにしておくのだそうである。殿様の行列は、「下におれ、下におれ」と掛け声を掛けて通り、民は土下座して行列を見ることもなく通り過ぎるのを待っていたそうである。
今の世の中では、「下におれ、下におれ」は、誰にでも通用する言葉ではない。
人の上に立つためには、リーダシップが必要である。だが、従来型の「下におれ、下におれ」との掛け声を掛けるだけでは、リーダシップ (主導権) は得られない。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」といわれている。だが、「人は人の上に人を造る」のである。オリンピックの競技においても、点 (数) は人の上に人を造る。民主主義の世の中であっても、人民の上に立つ大統領は選出される。
我が国では、「上と見るか、下と見るか」の相対論が盛んである。「どうせ人間のなすことだ。どんなにがんばっても高が知れている」というような絶対論的見地からの発想は出ない。だから、個人格差の検出は微小の程度にまで及びがちである。
「上と見るか、下と見るか」という伝統的な世俗的判断力ばかりでは、日本人社会の衰退はまぬがれない。未来に関する発展的な発想に欠けているからである。これが、向上心あふれる日本人の悩みである。
相対的な比較により、勝負に勝ったら大きくなって見せ、勝負に負けたら小さくなっている。その態度が自惚れと自虐の間を行ったり来たりしている。こうした上下感が我が国の歴史の解釈にも反映されている。日本語と階称 (言葉遣い) の関係をもっと気をつけて追跡する必要がある。
772文字


Professor Terashima is an accomplished scientist but also an acutely observant philosopher and sociologist whose critical ideas are deeply penetrating. What he writes will give his readers much cause for reflection. His contribution is that he articulates through carefully structured analysis what the Japanese have for a while but only vaguely suspected about themselves.

沖縄県立芸術大学教授 A. P. Jenkins



http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/index.htm
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/


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閲覧数916 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/08/23 16:39
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