人間は生きもの、自然の一部ということをもう一度考えなければいけない。生きものは多様であると同時に、みんな同じ祖先から生まれた仲間だ。三十八億年かけて進化した。いま存在する生きものは、たどれば全部三十八億年の歴史を体に持っている。人間はそういう中で生きていると思えば、少しは謙虚になれる。 いまのグローバル社会の中でベースとして考え直さなきゃいけないのは、食べもの・農業、健康・医療、住居、心・知、環境・水。この辺が動かないと、工業や金融を動かしている人も、ちゃんと生きていけないことは忘れないでほしい。 二十世紀は機械をどんどんつくり、電気エネルギーを使い、ガソリンで自動車を動かしてきた。機械と火を否定するつもりはない。けれども、二十一世紀はこれを伸ばすというより、命と水について考え直すと、もうちょっと豊かな社会になるのではないか。 機械は私たちを便利にしてくれた。便利とは、手が抜ける、思い通りにできるということ。技術者は必ず思い通りになるものをつくっているから、そうならないと想定外と言う。でも、生きものは全部想定外。機械は思い通りになるから、食べものや人間が考えることも全部思い通りになると思って社会をつくろうとしたら、すごく生きにくい社会になる。 これからの技術の中に、生きものが得意な部分を取り入れてほしい。一つは循環。死んだ生きものは土に戻って、また新しい生きものに使われる。ぐるぐる回す技術ができれば、資源は永遠に続く。 生きものは組み合わせが上手。少ないものを組み合わせて複雑にする。あとは可塑性。脳の一部にダメージを受けても、脳のどこかがその働きを全て持つようになる。機械に特化して考えず、生きもののことも含めて技術を考えてほしい。 私は「愛づる」という言葉をとても大事にしている。「虫愛づる姫君」が千年前に京都にいた。よく観察し、本質を見て、生きることを基本に物を考えていこうとして「愛づる」と言った。理知的、理性的な自然に対する愛。千年前に世界中のどこにもこんなレベルの高い自然観はなかった。 日本という国は、そういうものをベースに持っている。二十世紀型の科学には向いてないのかもしれないが、二十一世紀型の、命も含めて全体を考える新しい文明をつくるために大事な考え方は、日本の文化の中にある。それを是非生かしてほしい。 なかむら・けいこ 1936年、東京都生まれ。東大大学院生物化学修了。理学博士。三菱化成生命科学研究所人間・自然研究部長、早大人間科学部教授、阪大連携大学院教授などを歴任。生命を基本にした社会、科学技術、思想・芸術のあり方を研究する「生命誌」を提唱し、93年にJT生命誌研究館副館長に就任。2002年度から現職。著書は「生命誌の扉をひらく」(哲学書房)など多数。 「生命を基本に置く社会を考える」と題した講演でした。 |