産経新聞 2013年1月4日付 朝刊 【何を目指して、生きてるんだ】 《標高4720メートルのキボハットを午前0時に出発した。暗闇の中、ヘッドランプをつけて一歩一歩進む足取りは軽くはないが、まずまずだと思っていた。目指すは標高5895メートルのキリマンジャロ頂上だ。 休憩中、同じツァーの女性から「テルモス(ステンレス魔法瓶)は?」と言われ、初めてテルモスが冬山必携装備だと知る。女性に分けてもらった熱い紅茶を飲むと視界が突然一気に広くなった。もしかすると、高山病の一つの視界狭窄が起きていたのか…》 「普通の生活をしていれば、もうマンションとか買えちゃってますよね」 世界7大陸最高峰制覇を目指す山田公史郎(41)=兵庫県明石市=はこう言って笑った。「やってする後悔と、やらないでする後悔なら、僕はやっての方がいい。最期は『あー、楽しい人生だった!』と笑って死にたい」 もともと、特別山が好きだったわけではない。中学時代はテレビで見たボクシングに感化され、高校進学ではなくボクサーを目指そうと本気で考えた。 結局、家族から「高校ぐらいは出て」と説得され進学。就職後、才能の限界を感じてボクシングを断念し、ジョギングだけは続けていたとき、職場の上司に誘われた六甲山全山縦走が初の山登りだった。 この頃、夢中で読んだのが米の大富豪でアマチュア登山家のディック・バスが、自らの7大陸世界最高峰登頂の体験をつづった『Seven Summits』。 自分も7大陸最高峰を制覇したいという壮大の夢が芽生えた。まずは身近なところへ―と、西日本最高峰の石鎚山(愛媛県、標高1982メートル)、さらに国内最高峰の富士山へと1人で足を伸ばした。 そして、新聞の折り込みチラシでアフリカ・キリマンジャロの登頂ツァーを見つけたのをきっかけに、夢への挑戦が始まる。1997年夏、2週間の夏休みをもらって挑んだ初の5000メートル峰。必携品のテルモスを忘れたどころではない。実はテント泊も初めての経験だった。それでも、最高峰を登った、という達成感がたまらなかった」。 その後、年末年始と夏休みの度に長めの休みを捕っては7大陸最高峰への挑戦を続けた。20代で5山制覇と順調に項を重ねたが、エベレストで行き詰った。 それまでの山に必要だった経費は50万~60万円。だが、日本の登山専門会社が立ち上げたエベレストの公募登山隊に相談すると、約600万円が必要だった。さっそく貯蓄を始めた。 服装や持ち物にこだわりがある方ではなく、無理をしたつもりはない。2006年登頂を目標に据え、前年には「エベレストに登るので辞めます」と上司に申し出て退職、エベレストを見事制覇した。その後、元の職場に復帰したが、最後に残った南極・ビンソンマシフを目指そうと貯蓄を開始。昨年12月、再び退職した。 こんな冒険中心の生活が送れるのは独身ならではと自覚している。気付けば、愛車はもう20年同じ。周囲の同世代は結婚して子育てに入っている。稼いだ金の大半を7大陸最高峰につぎ込んだことに、何の意味があるかと問われると、それもそうだと思う。だが、7大陸を目指してきたからこそ、見えたことがある。「キリマンジャロに登るまで、何かやりたいけどやりたいことがない、ともんもんとしていたように思う。今は、周囲の人に聞いてみたいんです。何をめざし、何を思って生きているんですか、と」 南極の後は何を目指そうか―。7大陸最高峰を達成すれば、次の自問自答が待っている。 (木村さやか)=敬称略 ○○〈読者投稿〉 この記事が私にとってハッピーになった理由は、″何かの目標に対して積極的に挑戦する”ということの大切さを改めて教えてくれたからです。ちょっと前の自分は、大きなチャンスがあっても、どうしよう…ともやもや悩んで結局やらずに後悔していたことがありました。今もそういうところがあります。 でも、この記事の「やってする後悔と、やらないでする後悔なら、やってする後悔の方がいい」という言葉を読んで、本当だな…、悩んで結局やらなかった…という後悔より、そのとき挑戦して生まれた後悔の方が、次に生かせるし、それが自信へつながることだってあるんだ!!!と思いました。 これは私にとってのすごい進歩です。今、私にはいろいろな夢があって、その夢に向かっていろんなことに挑戦したいと思います。常に、自分は何を目指しているのだろう?ということを考えたら、挑戦することがたくさんあると思います。その挑戦することに向かって、積極的に頑張りたいです!! 岸田渚さん 12歳 大阪府 × × 誤字脱字写し間違いあります。 |