安倍晋三首相は27日[2014.2.27]自身の昨年末の靖国神社参拝について「国際的に現実問題として非難がある。非難を解くためのさまざまな努力をしたい」「日本のリーダーとして国のために戦った方々の御霊(みたま)に手を合わせ、冥福を祈る行為自体が外交、国際問題になっているのは大変不幸だ」「そうしないために努力を重ねなければならないし、まだまだ私の努力も足りないと認識している」「『こうすべきだ』というさまざまな意見にも真摯(しんし)に耳を傾けたい」と述べた。
意思があれば、責任もある。意思を問題にしなければ、罪は出てこない。事の成り行きだけを話すのでは、まだ子供である。信頼できる状態には至っていない。我が国は、パクリ文化圏から脱出して脱亜入欧できるかどうか。
日本の神様たちは意思を示さない。神の意思に従うのが宗教であるとすれば、意思のない日本人には宗教はないことになる。人々は向き合ってはいても、同じ方向を見据えていない。だから、靖国に祀られてる英霊も、いろんな宗派がいますよ。各宗派混在に問題はないことになる。儀式は宗教と無縁じゃないじゃないですか。というものの、それでは宗教儀式は無宗教ということになる。おそらく宗教の意味が我が国と他の国では違っているのでしょうね。
宗教色を排し戦死の意義を唱えることを目的した施設など死者を軽んずるものだ。という人には、儀式を排し戦死の意義を唱える、、、ということで、戦死の意義には儀式以上のものがあまり存在しないということになるのかな。戦死者は、政治のために死んだのではなかったか。儀式の重みは、政治の重みに勝るものなのか。
日本人には意思がない。事実、我々は頼まれ仕事ばかりをして受け身の生活を送っている。不幸があれば、被害者意識にさいなまれる。
大東亜戦争は自衛戦争ですよ。アメリカの謀略に応戦しただけなのになぜ裁かれるのですか。意思を持たない日本人には罪はない。罪のない日本人に罰はない。なぜ、我が国に裁判が必要なのかな。とかくこの世は無責任ということになる。
原爆投下は東京大空襲を止められないほど弱ってる日本に対して行った人体実験のようですが、早く手をあげかった日本もどうかしていますね。手をあげる意思のない日本人にも責任はないのかな。加害者意識は罪の意識、罪の意識のない日本人には反省の色はない。だから、歴史から学ぶ内容は少ない。同じ道を繰り返すアジアの不安定要因か。
「大東亜共栄圏」「満蒙は我が国の生命線」は、松岡洋介の造語らしいが、右翼の人々は大東亜戦争を自衛の戦争だと思っていますから加害者意識 (罪の意識) はありません。それでは、「大東亜共栄圏」「満蒙は我が国の生命線」の構想には問題はなかったのか。罪の意識のない人達には、ことの成り行きしか出てこない。それで、相手からの信頼は得られるか。
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