第三章 守る意識 モデルは立浪和義氏 プロに入って最も戸惑ったのは、ナイターでのフライの処理だった。神宮球場で上空に上がったフライは、ドーム球場などと違って目印がなく、どこまで追えばいいのか判断が難しい。入団一年目は試合後半から守備固めで出場することが多かったのだが、春季キャンプはアメリカ・アリゾナ州のユマで行っており、オープン戦もデーゲームが中心。神宮でのナイターは、開幕してからぶっつけ本番という状況だったからだ。 大学、社会人時代もナイターの経験は少なく、真っ暗な空に浮かぶ白球は距離感を測るのが難しかった。慣れるのに苦しんでいる時、チームの先輩である池山隆寛さんに「帽子の前にボールを置いて測ってみろ」とアドバイスをもらった。 打球を見上げたときに、ボーシのつばより上空に行って見えなくなれば、レフトに任せる。帽子のつばの内側にあるようなら、ショートの守備範囲に落ちると判断して追わないといけない。池山さんは神宮のような狭い球場では、基本的にはちょっとでも上空に上がったら、レフトに任せるよ、というのを最初に言っておくということだった。 だが、私がショートを守っている時は、ドゥエィン・ホージーやアレックス・ラミレスと、レフトには守備のうまい選手が一人もいなかった。彼らも前への飛球に自信がないので、「できたらショートに捕ってほしい」と言っているような動作で打球を追う。だから、どうしてもフライはすべて捕りに行かなければならなかった。 影響を受けた内野手といえば、やはりPL学園高校の一学年先輩で、中日で活躍した立浪和義さんの名前を挙げたい。入学した当初、シートノックで初めて立浪さんの守備を見たときは衝撃を受けた。 守備範囲、スピード、グラブさばき・・・。すべてが高校生レベルではなかったからだ。一番驚いたのは、ボールを捕球する位置だった。同じゴロでも一歩目が速く、加えてダッシュ力があるので、誰よりも前でボールを捕ることができる。いつも走者の走路の前で捕球していた。それからは、守備練習中はいつも立浪さんの動きを目で追っていた。近くに手本がいたことで、守備に興味が持てたといえるだろう。 もう一人挙げるとしたら、西武、日本ハムで活躍した奈良原浩さんになるだろうか。同志社大学時代、中央大学で日米大学野球のセレクションがあったのだが、そこに青山学院大学の奈良原さんの姿があった。長い時間見たわけではないが、キャッチボールやシートノックを見ただけで「こんな上手な人がいるんだ」と驚かされた。柔らかいというのがその印象だった。その後、西武、日本ハム、中日で守備を武器に活躍したのは周知のとおりである。 × × 誤字脱字写し間違いあります。 |