2016年04月21日(木) 

 

全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えでない。

単語を使って文章ができる。その文章は、現実の内容を表している。

言語に時制があると、過去・現在・未来の時制をもつ文章ができる。これらの文章は、非現実の内容を表している。その内容は、頭の中にのみ存在する。

現実肯定主義の人は、現実を本当と思い、非現実を嘘という。嘘は吐いてはいけないとされている。

だが、英米人によれば、非現実の内容は嘘ではない。矛盾が無ければ正しい考えである。誰も見た人のいない恐竜時代の世界の内容を詳しく述べる人もいる。彼らには有言の説得力がある。非現実の文章を作るのが、英米人の教養である。高等教育の必要なゆえんである。だから、’そんなこと言っても駄目だぞ。現実はそうなっていない’ という反論は当たらない。

 

非現実の文章を作ることができなければ、頭の中の単語は依然として、ばらばらなままである。そこから個人が勝手な解釈をする。文章になっていないのであるから、意味もなければ矛盾もない。だから、有言の説得力は得られない。が、無言の説得力がある。気分・雰囲気が伝わってくる。ばらばらな単語から、気分・雰囲気を伝えるのが、日本人の教養である。歌詠みのようなものか。無言の精神力を伝える細工物は仕上りが良い。世界の人に広く受け入れられている。おかげで、資金が還流して我が国は世界の経済大国になった。

 

日本語脳は、哲学 (虚学) には弱い。だが、実学 (技術) の内容には強い。我が国は、現在、多数の外国人研修生を受け入れている。現実に関する日本語の内容には大きな説得力がある。ぜひ、日本の基準を国際的に打ち立てて、世界の発展に役立ててもらいたい。そのために、日本語を世界に広めたい。多くの人に日本語を話してもらいたい。中国語も日本語も、主として母語として語られている言語である。英語のように第二言語として国際的な情報交換に使われる言語ではない。我々は日本語を外国人にやさしい言語に変えることにより、その有用性からみて多くの国で第二言語になりえる。我々は行き着く先の国際社会の有様を熟慮しなくてはならない。政治音痴ではいられない。

そう考えてみると、日本語の極端に弱いところは、その表記様式にある。かな漢字表記様式は、外国人に覚えにくい。特に非漢字圏出身者には、漢字の習得が絶望的に難しい。この困難は、日本語をローマ字表記様式にすれば、たちどころに解決する。政府に、ぜひこれを実行してもらいたい。漢字由来の同音語の問題は、長年をかけて解決を図る日本人の問題である。’助言’ は、ローマ字で ’advice’ のように外来語として書けばよい。ローマ字表記により、日本人は英語にも親しみを持つことができる。

言語が、もともと ‘話すもの・聞くもの’ であることを考えると、’読めない・書けない’ という音声から切り離された学習者が多数存在することは、学習環境にとって致命的な欠陥であると言わざるをえない。

 

現実を表す文章は、現在時制の文章と構文は同じ (?) である。が、内容の違いは歴然としている。

‘全ての人は平等に作られている。’ これは、非現実の内容である。日本人には信じられないが、方便として利用されている。

‘人間は万事、不平等である。’ これは、現実の内容である。日本人に信じられる内容である。夢も希望もない内容である。ただ、閉塞感だけがある。

もし日本人に ‘平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう’ と言われたら、それは現実のことか、それとも非現実 (哲学) の努力目標ことなのか考えさせられるところである。

 

日本人の判断では、’現実は本当・非現実は嘘’ である。西洋の哲学は、日本人の嘘になる。とても信じられるものではない。だが、嘘も方便である。せっかく学んだ我が国の高等教育の知識をうまく利用する方法はないものか。そこで、学問上の道理を曲げて、世間の人気にこびへつらう曲学阿世の輩となる。御用学者のようなものか。だから、なかなか真面目な人間にはなれない。

日本人には哲学 (非現実) が無い。だから、政治家には政治哲学が無い。それで、政治音痴になっている。

政治家は、政治哲学の代わりに処世術 (現実) を使う。かくして、政治家 (statesman) は政治屋 (politician) に変身する。

議員は小異 (現実) に従って離合集散を繰り返している。大同 (非現実) 団結はしない烏合の衆である。

行き着く先が見えていないので、未来社会の建設に前向きな姿勢はとれない。つかみどころのない人間には、他からの信頼が寄せられない。

われわれ一人ひとりに哲学が必要である。さすれば、英米人とも世界観比べができる。理想の社会の建設的な話し合いも可能になる。仲の良い友達になれる。腹にものをためる人間から、心を合わせられる人間に変わることができる。

 

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調している。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。 、、、、、、     ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

英語と日本語の勉強をして、無言の説得力の上に、有言の説得力を獲得しよう。さすれば我々日本人は、鬼に金棒の状態になる。

 

 

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閲覧数639 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2016/04/21 10:44
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