2016年07月30日(土) 

 

私の父は、先の大戦中フィリピンで玉砕した。だから、私は、遺族であり遺児である。最近は、年齢を感じることもしばしばで、父の墓の手入れも滞りがちである。同病相哀れむ遺族会の会員も老人ばかりで、今にも会は消え入りそうな状態である。墓への若者の表敬訪問などはない。私たち夫婦には子供が無いので、父の墓はそのうちに無縁仏の墓になる。’無縁仏の墓は、他人が勝手に処分したら裁判で負けます’ と和尚さんが丁寧に教えてくれた。全国に草生す状況にある戦死者の墓が数多くあると想像するが、政治家はこうした墓の現状をどのように考えているのであろうか。

 

我が市・○○では米国の□□市と姉妹都市の関係を結んでいて、毎年、若者を中心とした友好訪問団をアメリカに送りだしている。その中には、アーリントン国立墓地の表敬訪問も含まれている。’敵国の兵士の墓に表敬訪問をすることはないではないか’ と引率者に質問をしてみると、’あすこは、観光に良いところだから’ という答えが返ってきた。’ならば、我が国でも、やったらどうか’ の話には乗ってこない。お門違いだということであろう。国による墓地の管理も我々遺族も望むところだ。国の指導者にもぜひ永代供養をしてもらいたい。外国の若者にも、多数表見訪問してもらいたい。

 

日本人のメンタリティでは、個人の発言というものは実況放送・現状報告の内容になる。異口同音で個性ある ’あるべき姿’ の考察はない。あるべき姿は、’今はない姿’ である。こうした非現実の内容を日本語で話せば、それは真っ赤な嘘ということになる。これは、’嘘・本当’ の世界に住む者の判断の仕方である。だから、嘘つきと間違えられぬために、’あるべき姿’ ・’非現実の内容’・’自分の考え’ は常に差し控えられている。その結果、現実に閉じこもることになる。保守主義と言うのか現実の殻を脱皮できない。右にも左にも動かない。お変わりなければ、天下泰平ということか。

 

この次、国家の安全を脅かすような一大事が起こって、若者の命が必要になった時には、この国の指導者は何と言って命の代償を説明するのか。我が国の自衛隊は、何のために存在するのか。自衛隊は、戦死者の墓を警備しなくてはならない。それが国を守る証となる。現今の平和の時代には、それは考えられないことなのか。’備えあれば、憂いなし’ というが、我が国には備えはないのか。’宵越しの金は持たぬ’ のが仕来りか。我が国は、ひ弱な花か。

 

我々日本人は未来をしぶとく生きなくてはならない。そのためには、個人の多様性を育む教育がこの国には必要である。一本の答えで国の方針が決まるといった場合、それが間違いであると判明した時には、どのような結末になるのであろうか。’とかく、この世は無責任・・・’ となるのか。責任ある個人を名指しできる社会が必要である。

 

 

 

 

.

 

 

 

 

 

 


閲覧数536 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2016/07/30 16:40
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
シンちゃんさん
[一言]
明るい未来社会を築こう
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このアルバムのURL
https://e-jan.kakegawa-net.jp/blog/blog.php?key=828213