>FNNプライムオンライン >日本で“罰ゲーム化”する管理職…国際的にも断トツに意欲が低い理由を分析すると、未来のなり手が消えていく危機的状況が見えてくる >FNNプライムオンラインによるストーリー・ >20時間・ >将来「管理職になりたい」と思う割合が低いと言われる日本。 >業務量の増加、組織内の人間関係の調整ごとなど負担が増え、管理職になることはまるで“罰ゲーム”のようなイメージを持つ人が多いだろう。
罰ゲームは良くない。管理職に雑用をさせてはいけない。 我が国には人手不足の話は幾らでもあるが、頭脳不足の話はない。これが大問題です。それで会社は管理職に罰ゲームをさせることになる。これは頭脳の無駄遣いです。
>いまの管理職の元気のなさや崩壊している状況に危機感を覚えているのが、パーソル総合研究所で組織・労働をテーマにさまざまな調査・研究を行う小林祐児さん。 >管理職の現状や課題などの解決策を提案する著書『罰ゲーム化する管理職 バグだらけの職場の修正法』(集英社インターナショナル)から、「罰ゲーム化」による将来の管理職のなり手不足について一部抜粋・再編集して紹介する。 >順々に消えていく「期待の若手」 >「罰ゲーム」の状況は、どの立場から見るかによって姿が変わります。 >管理職と「非管理職」の賃金差について少し触れましたが、ここでは、その「非管理職」から見たときの状況を確かめてみましょう。 >近年、日本の管理職の求心力、魅力が落ちているという事はしばしば指摘されてきました。 >パーソル総合研究所が行った国際調査のデータによると、日本は各国と比較し、管理職になりたいと思っているメンバー層の割合が21.4%と、断トツの最下位となっています。 >意識調査において、日本で控えめな回答傾向がでることはよくあるのですが、それにしても他国と大きな差があります。 >単純な比較から少し数字を操作してみると、状況はより立体的に見えてきます。 >例えば日本の管理職意欲の男女比率を見ると、男性を1としたときの女性の意欲が0.57。 >女性の管理職意欲は、男性の意欲のおおよそ半分強です。 >他の国は0.7を切っているところすらありません。 >また20代の管理職への意欲を100としたときの、年代ごとの管理職意欲の国際比較を見ると、日本の異常さがさらに際立ちます。 >管理職への意欲が、日本だけ40代から一気に下がるのです。 >適齢期に管理職になれないと… >その他の国では40代と50代以上計でも横ばいの国が多くあります。 >横ばいということは、働いている限り、管理職を目指し続ける人が多いということです。 >日本は、適齢期に管理職になれなかった人は、もうそこでキャリア上昇を諦め、「管理職になれなかった人」として自己認知し始める国だということです。
そうですね。我が国は序列社会で昇進はエスカレーター式ですからね。適齢期に乗り遅れたら地位は一生その位置に決まりますね。 ‘求めよさらば与えられん’(何事もただ待つのではなく、自ら積極的に求める態度が必要であるということ)
>こうした意識を時系列でも確認してみましょう。 >日本生産性本部が実施している新入社員についての調査の、平成最後の10年間のデータを見ると、昇進について「どうでもよい」という回答だけが高まっています。 >この期間は女性活躍推進が進められた10年でもありますが、皮肉にも男女ともに「どうでもよい」が上がっています。 >同様に経年比較が可能な、博報堂生活総合研究所による長期時系列調査「生活定点」のデータを見てみると、「会社の中で出世したい」という設問に肯定的な回答をする人は、1998年の19.1%から徐々に低下し、2022年には13.2%となっています(※1)。
序列社会の魅力が薄れてきましたね。’下の者ほど割が悪い’ という感覚が薄れてきた。序列主義が民主主義に変わりました。
>日本は、管理職への出世に魅力を感じる人が少なく、特にこの20〜30年ほどでより少なくなってきていることは明らかです。 >さらに「管理職になれなかったベテラン社員」の意欲の落ち方、そして女性の意欲の相対的な低さというジェンダー格差も、日本の管理職問題が国際的に見ても特異であることを示しています。 >消えていく「次のリーダー候補」 >若手にとって管理職が「罰ゲーム」になると、組織・会社の「次世代リーダー」が育ちにくくなるという問題が生まれます。 >次世代リーダーの育成は、企業の「人」に関わる課題の中で、最も大きな部類のものです。 >例えばHR総研の実施している企業調査(人事の課題とキャリアに関する調査)では、どの企業規模でも「次世代リーダー育成」が、直面している課題の断トツ最上位です。 >少し先の「3〜5年後の課題」でも同じです。 >他の多くの調査でも同様の傾向が見られ、幹部層候補や次の経営リーダーの育成は、近年の日本企業が抱える差し迫った問題と言えるでしょう。
そうですね。日本人には意思がない。意思の無い人間には責任がない。だから、信用が得られない。信無くば立たず。指導者としては不適任。
>さらにここ数年、安定した大手企業から優秀な若手が続々と辞めている、という話をよく耳にします。 >「うちは優秀な若手から辞めていくんですよ」という話、そこかしこで聞かれます。 >安定企業で将来有望とされていたキラキラした若手が、スタートアップ企業などに転職していくのです。
そうでしょうね。スタートアップ企業には夢と希望があるからですね。夢と希望の持てない若者を見るのは残酷ですからね。
>ベンチャーキャピタルの発達によって、スタートアップ企業が徐々に高待遇化してきたこともあるでしょう。
高待遇化は必要ですね。個人を高く評価する必要が在りますね。
>管理職になる人が減り、一般社員との給料の差がなくなり、「タイパ」も悪くなれば、その会社で出世するインセンティブが下がりますので、早めに辞めてしまう若手が増えて当然です。 >年功的な賃金のフラット化が早期離職につながることは、すでにいくつかの実証研究でも示されてきています(※2)。 >20年も会社に奉仕した挙げ句に大した給与も貰えず、部下とのコミュニケーションで苦労ばかりする環境よりも、同年代の仲間たちと切磋琢磨しているスタートアップ企業のほうが魅力的に映るのは仕方のないことでしょう。
そうですね。魅力のある会社の多い国にしましょうね。’下におれ’ ばかりの伝統はよくありません。
>小林祐児 >パーソル総合研究所主席研究員/執行役員 シンクタンク本部長。 >労働・組織・雇用に関する多様なテーマについて調査・研究を行っている。 >専門分野は人的資源管理論・理論社会学。 >(※1)博報堂生活総合研究所 「生活定点」 調査 >(※2)「賃金プロファイルのフラット化と若年労働者の早期離職」 村田啓子 (首都大学東京) /堀雅博(一橋大学)RIETI Discussion Paper Series 19-J-028
日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答えを出せる人が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。自己の見解を示せば学位 (博士号など) が得られる。自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく: 世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走し続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、若者にも夢と希望を与えることがない。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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