複雑な感情|
だから、職人となって細工物を作っている。これは我が国の伝統です。
日本人には、意思がない。だから、主体性はない。意思は未来時制の文章内容であり、日本語には、時制が無い。だから、日本人には、自己の意思を表す文章ができない。 意思があれば、能動的な態度が取れる。意思が無ければ、受動的になるしかない。
答えがあって、それを暗記する。答えが無ければ、暗記もできない。だから、先生に教えを乞うのである。
無哲学・能天気ではいられない。考える人が必要ですね。
同感です。 日本語は、現実描写の言葉である。実況放送・現状報告の内容を伝えるための言葉である。内容は、没個性である。 哲学の内容は、非現実である。非現実の内容は、個人個人で異なっている。だから、個性的である。 非現実の内容を述べるには、時制が必要である。日本語には時制が無いので、非現実の内容を表す文章ができない。 だから、非現実に関する発言には意味もなく、矛盾すらない。空想・妄想の類となり、雑念となり見捨てられている。 時制があれば、非現実の内容は、文章になる。文章があれば、意味もある。矛盾があれば、それを取り除くこともできる。 かくして、矛盾のない文章は、どれも正しい。個人の数だけ存在する。いや、それ以上のこともあり、それ以下のこともない。だから、個人的に哲学的な質問することには意義がある。
英語には時制がある。だから、英米の高等教育には哲学がある。日本人の敬遠する海外留学である。帰国してから、無哲学・能天気の社会には役に立たない勉強である。
現実の内容を現実に再現すれば、それは模倣となる。 非現実の内容を現実に実現すれば、それは創造である。人類の持つ固有の知力を示したことになる。 特亜三国 (日本・韓国・中国) の言語には時制が無く、民には哲学が無い。模倣が得意で、創造が苦手である。だから、模倣の争いは、その分激しい。現実に埋没した没個性の戦いは、北東アジアの不安定要因となっている。
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