生まれることは、どうだか知りませんが、一神教は、アジアの熱帯雨林の中でも育ちますね。
>日本のような多彩にして変幻きわまりなき自然をもつ国で八百万(やおよろず)の神々が生まれ崇拝され続けて来たのは当然のことであろう。
日本人には、自己がない。だから、周りのことが、特に気にかかるのでしょう。
>山も川も木も一つ一つが神であり人でもあるのである。それをあがめそれに従うことによってのみ生活生命が保証されるからである。
環境保全の精神のようなものですね。
>また一方地形の影響で住民の定住性土着性が決定された結果は至るところの集落に鎮守の社を建てさせた。これも日本の特色である。
日本人は、インド哲学の受け入れには、失敗しましたね。前世・現世・来世の内容の展開は、我々には難問ですね。
>思うに仏教の根底にある無常観が日本人のおのずからな自然観と相調和するところのあるのもその一つの因子ではないかと思うのである。
意思のある所に方法・仕方がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思は、未来時制の文章内容である。日本語文法には、時制が無い。日本人には、意思が無い。方法・仕方がない。だから、無常観がある。ということでしょう。
>鴨長明(かものちょうめい)の方丈記を引用するまでもなく地震や風水の災禍の頻繁(ひんぱん)でしかも全く予測し難い国土に住むものにとっては天然の無常は遠い遠い祖先からの遺伝的記憶となって五臓六腑(ごぞうろっぷ)にしみ渡っているからである。
無意志と無常観は、近縁ですね。未来時制の文章内容が無いので、全く予想はできませんね。
考えようとしても、それは無理でしょうね。
>雨のない砂漠(さばく)の国では天文学は発達しやすいが多雨の国ではそれが妨げられたということも考えられる。 >前にも述べたように自然の恵みが乏しい代わりに自然の暴威のゆるやかな国では自然を制御しようとする欲望が起こりやすいということも考えられる。
西洋人には、意思があるからでしょう。意思のあるところには、方法・仕方がります。
>全く予測し難い地震台風に鞭打(むちう)たれつづけている日本人はそれら現象の原因を探究するよりも、それらの災害を軽減し回避する具体的方策の研究にその知恵を傾けたもののように思われる。
そうですね。現実対応策に追われていたのですね。
>おそらく日本の自然は西洋流の分析的科学の生まれるためにはあまりに多彩であまりに無常であったかもしれないのである。
意思が無ければ、方法・仕方がない。それで、無常感がある。
>現在の意味での科学は存在しなかったとしても祖先から日本人の日常における自然との交渉は今の科学の目から見ても非常に合理的なものであるという事は、たとえば日本人の衣食住について前条で例示したようなものである。 >その合理性を「発見」し「証明」する役目が将来の科学者に残された仕事の分野ではないかという気もするのである。
それもありますね。
どの人種も頭脳は同じ程度でしょうね。違いがあるのは、言語の枠組みの中でのそれぞれの活動の仕方でしょう。 現実の内容は、頭の外にある。考え (非現実) の内容は、頭の中にある。 全ての考えは、時制のある文章になる。時制のある文章にならないものは、考えではない。 日本語文法には、時制がない。だから、日本人には、時制のある文章が無く、考えの内容が無い。 日本語は、現実描写のための言語です。日本人の発言は、実況放送・現状報告の内容ばかりであります。 このようなわけで、日本人の精神活動は、文章・言説では表すことが出来ない。これは、日本語に時制がないためである。だから、心から心へと非言語で伝えられる。この伝達方法は、以心伝心・不立文字と言われている。 非言語の想いの伝達は、国際間にある言語障壁をものともしない。物に込められた日本人の心は、外国人に直接 (翻訳を経ることなく) 伝えられる。 日本製品のセンス (判断) の良さは海外でも高い評価を受けて、輸出高を伸ばしている。おかげさまで、我が国は、技術立国を基礎にして、経済大国にのし上がりました。 言語に強い英語と、非言語に強い日本語は、全ての人にとり習得する価値のある言語であります。日本語を世界の第二言語とするためには、日本語のローマ字表記化が必要です。これにより、非漢字圏の国民が日本語を音読することと会話することを助けます。二刀流で活躍すれば、鬼に金棒の人間になれるでしょう。学問は英米への留学が良く、技術研修は日本に来るのが良いでしょう。国際協力により、ともに未来を切り開いて行きましょう。
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