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(略)
>決断は、決して断じることである。>一瞬にできる。
そうですね。意思というものがあれば即断できますね。
>瞬時のことである。>だから、閃きのようなものである。>故に、決断は、感情が触発するのである。>気合いである。>決断は、抜刀する気合いでするのである。
机の上にいろいろ使用可能な道具を並べておいて、適当なものを選ぶようなものでしょう。
>決断力というのは、ある程度早い時期から養成しなければ、磨かれない。>一日や二日で身に付くような能力ではないのである。
日本語の文法にも関係が有りますね。日本人には、意思表示は難しいですね。微笑・沈黙・居眠りですかね。
>判断は、他人の意見を聞いて、決断は、自分の意志で行うものである。
意思があれば、決断できますね。意思は未来時制の文章内容ですが、日本語文法には、時制というものがありません。 ですから、日本人には意思の内容があません。それで、優柔不断・意志薄弱に見えます。 意思を表す文章内容を作ることが出来ない。構文がないので、返事がバラバラな単語 (小言・片言・独り言) になる。意味もなければ、矛盾も指摘できない。 相手にどのように受け取られるのか、分からないという。いかにも、のんびりした話である。これでは不便極まりない。だから、’鎌をかけてやる’ という。 ‘鎌をかける’ とは、相手に本音を吐かせるために、巧みに誘い掛けることを言う。正確な文章とその理解の範疇をほぼ完全に逸脱している。国語教育の改善で是正されるものか。
>その為には、自己が確立されていなければならない。
そうですね。現実の内容に左右されることのない、非現実の内容を持つことが必要ですね。そうでなければ、時流に流されます。 ‘Independent!’ (自主・独立している) は、アメリカ人の子供に対する褒め言葉にもなっていますね。
>善悪の判断ができない者、つまりは、善悪の価値基準のない者は、決断できない。
世界観を持つ必要がありますね。世界観は非現実なので、時制のある言語が必要です。日本人の学問 (実学) では、哲学は無理ですね。 ‘あるべき姿’ の世界に入るものは善、外れるものは悪ですね。無哲学・能天気の人たちには、道徳教育が必要となりますね。
>確かに、道徳心のない者でも、一見行動的に見える者もいる。>しかし、その行動の源は、決断ではなく、衝動である。
理由なき反抗の様なものでしょうか。
>衝動による行動と、決断による行動とは、本質が違う。
そうですね。衝動に因るものは、熱しやすく、冷めやすいですね。自己の哲学に基づいた行動は、長続きしますね。
>何よりも、衝動的な行動は、自己を制御・抑制することができない。
リーズン (理性・理由・適当) を失った人の行動ですね。アンリーズナブル (unreasonable) な行動をとると、恥を知れ (Shame on you!) と言われますね。
>本来は、人の意見を聞いて判断をし、自分の意志で決断しなければならないのに、自己が確立されていない者は、人の意見を聞くと判断できなくなり、自分の意志で決められなくなる。>これでは、本末転倒である。
そうですね。他人には、色々な意見の持ち主がいますからね。意思のない人は不安定な想いをします。大人には自主・独立 (independence) が必要ですね。いつまでも、子供じみてはいられない。
(略)
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