忙しい時は振り回されてるような気がします。
さぼりやの私にはちょっぴり耳が痛いです。
人から見れば、頑張り屋で常に忙しく映るらしい。
適当人間でいるが、頑張ってる人をみるとなにかしなければと
気持だけは思う。
この頃、毎日ではないが従妹からの呼び出しで出かけるが、
あれぐらいの仕事でよいとしている。
寒さも抜ければ、動くしかない。
まあもう少しの冬ごもりといいわけです・
「90歳。何がめでたい」は、先日、妻がターコさんから借りてきた本のタイトルです。 作者は、直木賞他数々の賞を受けている佐藤愛子氏が88歳の時、最後の長編小説を書き上げ、これからはのんびりと老後を過ごせばいいと友人からも言われ自分もそう思っていた。
ところがです、いよいよ「のんびり」生活に入ってみると、なんだか気が抜けて楽しくない、わけもなく一人でニコニコしているのもへんなもので、自然とムッとした顔になるのです。 そうしてだんだん、気が滅入ってきて、ご飯を食べるのも面倒くさくなり、たまに娘や孫が顔を出してもしゃべる気がなくなりウツウツとして、これが「老人性ウツ病」だなと思っていたところに「女性セブン」の方が訪ねて来てエッセイ連載を依頼された。(エッセ-とは 形式にとらわれず、個人的観点から物事を論じた散文。また、見聞などをまとめた文章。・・・ )
週刊誌の連載といえば締め切りは毎週ではないか「もう私も、90歳すぎましたからね。これからはのんびりしようと思ってるんですよ」一応、そういいましたが、その「のんびり」のおかげで、ウツ病になりかけてじゃないか、そんなこんなで隔週ならばという条件で書くことになったのですが、タイトルの「90歳。何が めでたい」は、その時、閃いたものです。ヤケクソが籠っています。
人間は「のんびりしよう」なんて考えてはダメだということが90歳過ぎてよくわかりました。
↑↑上記は終わりの話をところどころ抜き書きしたものです。
「女性セブン」に連載されたものに加筆修正してまとめたがこの本のようです。 一話一話に面白さがあり昔の良さ現代の過剰の便利すぎ・・ 作者の言葉に同感するところががたくさんあって一気に読んでしまいました。
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