みんなダイヤモンドの原石
磨けばまぶしく輝き放つと言うのですが、
・・・でも、優れた感性を育てるって、わたくし凡人には難しいです。
子供たちにしてやったことが、どうだったのか、
未だに、あの時ああすればと、反省の残る私です。
北海道新聞 2012年7月29日付 朝刊 【おおらかに感性伸ばす】 〈この親にしてこの子あり〉 2009年に吉川英治文学新人賞を受賞した作家の朝倉かすみさん(51)は小樽出身。小さなころから小説や純文学に親しんでいたのでは―と思うが、母の渡辺京子さん(76)は「叱られても目が悪くなっても、漫画を読んでいましたよ」と笑う。 朝倉さんは小中高と漫画に熱中。「ベルサイユのばら」や「11人いる!」など、とにかく何でも読んだ。そうすることで語彙力もついた。「教科書にも絵本にもない言葉が出てくる。『恋煩い』という言葉について親に聞き、頭をたたかれたこともあります」と朝倉さん。 そんな娘を叱ることもあったが、父勝英さん(77)と京子さん両親は「子どもには何か一つでも優れたものがあればいい」と考えていた。高校時代の朝倉さんは数学の成績が悪く、京子さんが学校に呼び出されたことがあったが、教師には謝らなかった。「悪いことをしたり友達を傷つけたら絶対に謝る。でも数学ができないからって、どうなるものでもないでしょ」 両親の教育姿勢は終始おおらかだ。朝倉さんは道武蔵女子短大を卒業後、「自分の働くイメージが湧かない」と就職せず、30歳ごろまで短期のアルバイトなどを繰り返した。夜は小説を読みふけり、昼ごろ起きる生活を続けていたが、親からは何も言わなかった。「他人から変人に思われようが、信念を持ってやっているに違いない」と娘を信じていたからだ。 結婚適齢期を迎えても、お見合いなどはさせなかった。けげんに思った娘の問いかけに、京子さんは「あなたの素晴らしさを分かってくれる人に出会っていないだけじゃない」と答えた。日常生活の中で娘の感性の豊かさを見て取っていた両親は、それを伸ばし、人間を磨いてほしいと願った。だから、婚活よりも読書や観劇、おいしい食事を取ることなどを勧めた。 この時期に朝倉さんは、小説への興味を深めていった。気に入ったものは何度も「写経」し、源氏物語だけでもさまざまな訳者の作品を読み込んだ。30歳すぎからは作家を目指して石狩市の自宅から札幌の文章教室に通い、懸賞小説公募にも挑戦し始めた。 そのころを朝倉さんはこう振り返る。「就職してずっと一生懸命働いていたら疲れていたかもしれない。10年間働いていなかったから、今でも頑張れるんじゃないかな」。京子さんも「親がイライラしていたら子どもも追い詰められる。子どもの行動には何か理由があると考えれば、親が楽になる」。両親の信頼と信念に支えられた「空白の10年」が、今の朝倉さんを育てたといっても過言ではない。 その後、いったん執筆をやめた朝倉さんは39歳で結婚後、再び小説を書き始め、2003年に北海道新聞文学賞、04年に小説現代新人賞を受賞。今では売れっ子作家の一人だ。 朝倉さんのエッセー「ぜんぜんたいへんじゃないです。」(朝日新聞出版)には、釣り好きでフグをさばき家族に食べさせる勝英さんや、娘の本が並ぶ札幌の書店であいさつ回りをする京子さんなど、ほほ笑ましいエピソードを掲載。これを読んで両親のフアンになった人もいるそうだ。 勝英さんは一昨年、脳梗塞を患い言葉が不自由になった。しかし、朝倉さんの新刊が出ると、家族の知らないうちに購入してくる。京子さんは「何も言わずに本が置いてある。父親の存在感を示しているんでしょうね」。 親として、そして最大の支持者として、娘の新たな作品を心待ちにしている。京子さんはこう語る。「娘だからというよりも、私たちは作家・朝倉かすみのフアンなんです」 (文・貝沢貴子、写真・北野清) 〈読者投稿〉 両親とは何なのだろうか。この記事を読んだとき、私はふと考えた。親は子に普通教育を受けさせる義務がある。しかし親子とはそれだけのものではないと思う。この記事にあるように信頼し支え合う心の距離が短い存在だと互いに思っていることこそが本当の親子だと改めて感じた。 私は両親が好きだ。学校での事を話す時間は私にとっての楽しみである。親と子は互いに成長していくものだと思う。私がここまで成長したのも親がいるから。困った時は優しく手を差しのべ、時には厳しく叱ってくれる。私にとって両親はかけがえのない大切な存在でそれはこの先も変わらない。 この記事のおかげで家族とともに生活するという幸せに気付き、そしていままで育ててくれ、私を見守ってくれた両親に感謝の気持ちを伝えたいと思った。こんなに温かい家庭に生まれたことの幸せを体感できる、心が温かくなるような記事だった。 山田七海さん 14歳 北海道 × × 誤字脱字写し間違いあります。 |