2018年02月19日(月) 

 

>日本人自身の手(口)による日本人論には色々とある訳ですが、総じて実態を的確に表していると言うよりは、むしろ醜悪な自己弁護と言いますか、本当は真逆である現実を覆い隠すものでもあるように思います。

 

そういうところもあるでしょうね。

 

>最もタチが悪いのは「日本人は時間に正確/時間にうるさい」みたいな類いで、これは他国に対する排他的優越心の表れでもありますけれど、しかし本当に時間に正確な国民性であればダラダラ会議で長時間労働なんて起こりえないわけです。>そしてもし日本人が時間にうるさいのであれば、サービス残業なんて許されようはずもありません。>ところが「日本人は就業時間を守らない」と憤る外国人がいる一方で大多数の日本人は時間を破ることを意に介していなかったりします。

 

そうですね。日本人は、必ずしも時間厳守ではないですね。

 

(略)

>「日本人は曖昧」というのも然りで、実態は正反対、日本ほど曖昧さを受け入れられない社会もないと言いますか、何事も善悪二元論で考える、原発事故やワクチンの副作用等々でもリスクを「ある」か「ない」かでしか考えずに、その「程度」を理解しようとしないのが日本文化であるように思います。

 

‘嘘・本当?’ の質問形式ですね。

 

>大多数の日本人にとって存在するのは白か黒だけ、グレーなんて学者の誤魔化しぐらいにしか受け止められていないわけです。>日本人は曖昧なのではなく、「日本人――我々――は曖昧だからよくないのだ、もっと曖昧さを排さなければ!」というのが、最大公約数的な認識なのではないでしょうか。

 

優柔不断・意志薄弱ですからね。’もっと、ハキハキせよ’ ということでしょうか。

 

>日本人は「指示待ちが多い」云々も実態を表さないどころか正反対のような気がしますね。

>むしろ「指示待ちではいけない、自分で考えて行動しなさい」と子供の頃から吹き込まれて育ったのが日本人であって、そうであるが故に統制が取れない、勝手な思い込みで突き進んで周りに迷惑をかける人も多いところがあるはずです。

 

それは、恣意 (私意・我がまま・身勝手) の自由ですね。自由のはき違えです。

 

>先日の熊本の大地震では、「野良ボランティア」などとも呼ばれる、社会保険協議会や行政の指示に従わない自称ボランティア集団の存在が問題視されたりもしました。

>必要のないものを押しつける、勝手な行動で現場を混乱させる、それを「善意」で行う人々の存在は日本の「指示を待たずに行動する」文化の現れに見えます。

 

そうですね。日本人には意思が無い。だから、意思を示す指導者がいない。待っていても仕方がない。指示を待たずに行動する。このような順序に恣意の行為が進むのでしょう。

意思は、未来時制の文章内容でありますが、日本語文法には時制というものがありませんので、日本人には意思がありません。だから、優柔不断・意志薄弱に見えます。

カレル・ヴァン・ウォルフレンは、<日本/権力構造の謎>の中の <とらえどころのない国家> で、次の段落のように述べています。

 

国会両院以外に、国家の中核として権力を持っているらしく見える組織は、官僚と大企業である。だが、この両者のどちらにも、究極的な権力はない。ボスはたくさんいるが、ボス中のボスといえる存在はないし、他を統率するだけの支配力のあるボス集団があるわけでもない。首都が国の経済、文化の中心だという意味では、日本は高度に中央集中型の国と言える。東京は、パリやロンドンに負けず劣らず、”すべてのものがある”大都市である。大企業は、中央官庁の役人から離れないよう、本社あるいは重要な支社を東京に構える。主要教育機関も、ここに集中している。予算陳情のためには、地方自治体も国の中央官僚に取り入らなければならない。東京以外には、重要な出版産業も娯楽産業もほとんど存在しない。ところが、この地理的中心地には、政治の中核がないのである。どの国についても、国家の実態をとらえるのは容易ではないが、日本の場合はとくに、バケツの中のウナギを素手でつかまえる、ということわざのたとえそのものである。指令の流れる経路、責任の中心、見え隠れする政策決定上の実際の動きなどが、すべて気が変になるほど、とらえどころがない。(引用終り)

 

>そして「日本人は失敗を恐れる」云々も嘘八百で、強いて言うのなら日本人が恐れているのは「詰め腹を切らされる」ことでしょう。

>日本は自己責任の国、失敗したときに己に全責任が降りかかってくるような場面であれば、確かにそれを日本人は恐れるのかも知れません。

>しかし、責任を問われない場面では? 

 

意思が無いのだから、責任もない。’とかく、この世は無責任’ と言うことか。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。

 

>前段の野良ボランティアも然りで、自身の行動で周りに迷惑をかける、状況改善を遅らせるようなことになっても知らぬ存ぜぬで、失敗の可能性を微塵も憂慮せずに行動している人は少なくないように思います。

 

そうでしょうね。誰も反省は好まない。

 

>会社だってそう、「失敗するとわかりきったプロジェクト」が当たり前のように強行されることは全く珍しくありません。>もう少し失敗の可能性を意識して「退く」ことも考慮して欲しいなと私などは感じるところですが、偉い人は楽観論で突き進みます。

 

先のインパール作戦の様なものか。偉い人には責任感 (sense of responsibility) が無い。意思が無くては、責任感のあろうはずがない。

 

>政治にしても同様で、たとえば消費税増税のように過去の失敗から何も学ばずに同じことを繰り返し、同じ結果を招いたりもしてきたわけです。>なぜ失敗を恐れないのか、もう少し失敗を恐れて慎重に検討するべきではなかったのかと思うのですが……「日本人は失敗を恐れすぎる、もっと果敢に挑戦しなければならないのだ」と、そう考えている人の方が多いのでしょう。

 

一寸先は闇である。だから、果敢な挑戦は危険ですね。全ての考えは、文章になる。文章にならないものは考えではない。考えるとは、作文をすること。文章が結論を出してくれる。日本語文法には時制が無いので、未来の世界の内容を文章にすることは出来ません。ですから、一寸先は闇であります。にもかかわらず、果敢な挑戦をするのは、飛んで火に入る夏の虫であります。増税については、私は詳しく分かりませんけどね。

 

 

 

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閲覧数729 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/02/19 20:48
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